2009年9月2日水曜日

After 2250 miles of sailing : TP-8 fin

夜があけると、クルー全員がデッキにでてきた。 
10マイルオーバーで帆走するLEGLUSのポートサイド(左手側)にはモロカイ島が見える。 
これまでのレースを振り返りながら、モロカイ島を見ていると、陸地の存在からか格別の
安心感を感じた。  もう、他に何も見えない太平洋のど真ん中ではないのだ。 
そして25マイル前コールを行う。 もうコミュニケーションボートではなく、ダイヤモンドヘッドの
大会本部へのコール。   




そして、最後の難関モロカイチャネルが近づいていた。 
レーススタートの6ヶ月前のレースに初めて参加するチームのための説明会で
見た、トランスパックレース中に壊れたヨットの写真を思い出した。 
セールが破れたものなどトラブルに入らないくらいに、船に大きなダメージを
追った過去の参加艇達。 マストが折れたもの、ブームが曲がったもの、ラダーを失ったもの。
45回の歴史の中でそういったトラブルが一番頻繁に起こった、マウイ島とモロカイ島の
強い風と強い海流が流れているその場所がモロカイチャネル。


モロカイチャネル突入前にCode3にセールチェンジ
左手にココヘッド、そしてその向こうにダイヤモンドヘッドが見える。


夜明け前、モロカイ島東を帆走中に補修をして頑張っていたRunnningSpinnakerも破れてしまった。 
無理もない、補修をした72時間以上も時には20ノットオーバーの風を受け続けてくれた。 
これで残っているスピンネーカーは2枚だけになってしまった。 
正確にいえば、Code3とレインボーというニックネームのGennakerセールのみ。 
これはLEGLUSにとっては非常に厳しい最後の試練かもしれなかった。 
LEGLUSは元々大阪メルボルンダブルハンドレースに挑戦するためにショートハンド(少ない
乗員)で乗れるように工夫されたヨットであったが、裏を返せばあまり細かい操船をしない
(できない)ように設計されていた。 その後オーナーが変わる度にいろいろな儀装の工夫
やクルーのアイデアで弱点は克服されていたが、唯一残っていたのがGennakerでの
ジャイブ(風下へヨットをむけてセールの向きを変えること)のハンドリングだった。  
ジャイブする際に普通のヨットと違いスピンポールの根元を
はずすという作業をしなければならなかった。   風が弱い状態ならば簡単な
作業だが、強風下での作業はバウマンに危険がともなうばかりでなく、ポールやセールの
破損などのトラブルを引き起こしてしまう可能性が大きくなってしまう作業だった。
このままのコースで進めば、モロカイチャネルの真ん中で、この危険なジャイブ作業を
しなければならない。    

モロカイに差し掛かると同時に風向きが東から北側にすこしづつシフトしていった。 
ジャイブなしでもチャネルを抜けてフィニッシュラインにぎりぎり届くコースの
可能性が見えてきた。    海図上では簡単にひける一本の直線だが、
風が一瞬一瞬変化する海上で、しかも風下真っすぐに帆走しているヨットでは
このコースが非常にむずかしいことはクルーの誰の目にも明らか。  リスクがあるのは
ジャイブだけではなかった。 チャネル北側のオアフ沿岸は、危険な浅瀬が多く
ここは絶対に近づいてはいけないエリア。 
今の風向きなら一本の直線コースをぎりぎり通過できるが、少しでも
風向きが逆にシフトすれば、座礁をさけるために、すぐにジャイブを行わなければ
ならないという綱渡りをLEGLUSは始めてしまっていたのだった。

仙人スキッパーはジャイブしないぎりぎりのコースを探るようにヘルムを取っていた。 
クルーも全員がデッキにあがって近づいてくるオアフ島を見ながら祈っていたはずだ。 
最後は神が味方してくれたのだろう、風向きはそのままシフトすることなく
安定して、しかもモロカイチャネルにしては非常にやさしく、LEGLUS
を歓迎してくれた。  20ノット弱の風の中をLEGLUSは快走してダイヤモンドヘッド
に近づいていた。   そしてダイヤモンドヘッドの灯台が見えてきた。
それに赤いダイヤモンドヘッド沖のブイも。   灯台とダイヤモンドヘッドブイを結ぶ
仮想線上、ブイの南側がフィニッシュライン。  
LongBeachをスタートして太平洋上ではばらばらになった参加50艇の全てが
このブイを目指して2250マイルを渡ってくるのだ。 


モロカイ北側からオアフのダイヤモンドヘッドまでのまっすぐならトラックライン。 風向きマークが
トラックとほぼ重なっている。 20ノットの風の中、真ランぎりぎりで帆走したのがわかる。




全員、チームユニフォームのアロハシャツに着替えてゴールを待つ
数少ない航海中のクルー全員での一枚



そしてLEGLUSもこのブイを通過した。  
11日と23時間前にロングビーチをスタートしてから
ずっと目指していたダイヤモンドヘッド沖のレッドブイ。  

ハワイ時間7月13日午前9時19分49秒だった。 



フィニッシュを通過してから、目に飛び込んできたワイキキは、いままで見てきた
海だけの景色からは想像できないくらいに豪華絢爛に見えた。 
そのビーチには派手な水着やアロハシャツをまとった人達が闊歩しているのだ。
なんて平和な島なのだろう。    


Hawaii Yacht Clubのボートに先導されてAla Wai ハーバーに入っていく。 
ヨットクラブから船名やクルーの名前がAlohaとともにコールされるのが聞こえてきた。 
LEGLUSのアロハシャツを着た人達がヨットクラブ前に何人も見えてきた。  
日本から来たLEGLUSのサポーター、家族の皆さんだった。   
知っている顔もたくさん見えてきた、わずか12日前、スタートまで
応援に来てくれたLEGLUSのオーナー、サポーター、家族の顔もなぜか
懐かしい。    ポンツーンにLEGLUSがドックしてからは、皆さんの
大歓迎を受けた。 まずはパイナップル容器入りのマイタイで乾杯。
クラブのボランティアの人達とチームサポーターが協力して準備してくれた、
素晴らしい食事の数々をいただきながら、話は尽きない。  
全員で40名+LEGLUSでヨットクラブをほとんど占領してしまった。 
見ず知らずのヨットクラブの人達からも声をかけられた、
『いままでゴールしたどのヨットよりも一番派手な歓迎だぞ、お前達。』
クラス6艇の参加中5位。 けっして誇れる結果ではないが、
応援してくれた仲間達はどこのチームにも負けないようだ。 






そして夢のような時間を、大好きな仲間や家族達とハワイの太陽の下で堪能した。 


Epilogue  
冨倉オーナーとCMCが2年をかけてサポートしたLEGLUSでのTranspacの
挑戦はハワイに無事フィニッシュしたことで終わった。  満足できる
成績ではなかったけれども、トランスパックに参加できたこと、LEGLUSにナビゲーター
として携わったこと、そしてレースに参加したファイナルクルーだけでなく、
ファイナルに残れなかったクルーメンバー、ヨットを太平洋を渡って運んできて
くださった回航メンバー、LEGLUSと関わったすべての人達に会えた幸運と
それを実現してくれたヨットLEGLUSに心より感謝の意を表明します。 

自分の長年の太平洋を渡りたいという想いはかなえてもらえたが、
チームにはどんなことをしてあげたのだろうか?

貢献できたのかな? 

レース中に引いたコースはどうだったのか?

あのとき、もう少し違うコースを取ったならどうなったのだろう?

自分があそこでヘルムをとっていたなら、どうしたろう? 

フィニッシュして時間がたった今でも、Transpacを振り返ると
そんなことが頭に浮かんでしまう。  

レーススタート前に参加したスキッパーズミーティングで、開催側
の司会者が参加チームのスキッパーに質問したことを思い出して
いた。 『5回以上の出場者はこの中に何人くらいいるのかい?』
と言われて10人以上のスキッパーの手が上がったのを思い出した。 
なかには、10回以上のスキッパーも!  
一度レースに出たら、また戻りたくなってしまう、また挑戦したく
なってしまう。  1年以上の準備と練習、そして費用も通常の
ヨットレースとは桁違いにも関わらず。 
これがトランスパックの魅力なのだなと納得しながらも2年後の
有給休暇の言い訳を考えはじめている自分がいた。 


最後に:
貴重な体験をなるだけ忘れないうちに、記録を残そうと書き連ねている
うちにずるずるとこの長さとなってしまいましたが、
最後までお付き合いいただきありがとうございました。        
月日はあっという間に流れ、Transpacのフィニッシュから6週間が過ぎ、
すでに9月に入ってしまいました。 

LEGLUSはTPフィニッシュ後に再び太平洋を越えて、SFに戻ってきました。
現在はSausalitoにて係留され、今回のプロジェクトをUSからサポートした
チームSeekerが暫く預かることになりました。 
新しいメンバーを乗せて、SFベイをセーリングすることになるかと思います。 
LEGLUSに乗りたい、ヨットを学んでみたいという人がいれば
いつでもコンタクトをお待ちしています。    

2009年9月1日火曜日

Over the rainbow : TP-7

破れたセールを片付けるのは辛い作業だったが、よいニュースもあった。 
RunnningSpinの一枚は縦に裂けたように切れていたので、補修の可能性がでてきた。 
裂けた部分をメジャーを何度も手繰りながらはかってみると、14メートル。 
両面からテープを張って補修するには最低でも30メートルのテープが必要。 
事前に準備しておいた、補修テープは20メートル。  あとは1.2メートルx1メートルの
大きな補修パッチがあった。 補修パッチをテープとほぼ同じ7.5センチ幅に切り取って
長さ1.2メートルの補修テープが10本完成、なんとか補修できそうだ。 
あとはきれいに張るだけなのだが。。。。 
全長が16メートルのヨットの上で20メートルのセールを補修することがどんなに大変か
想像できるだろうか。  しかも平らの部分は船内に入って何も置かれていないたった
畳2帖分ほどの床面しかない。  巨大なセールをコックピット入り口に押し込んで、切れている
部分を上から広げて、2帖分だけ平らにして、その部分にテープを張る。 張り終わったら、
テープの上をスピーンで擦って丁寧に空気を抜いていく。  きちんと張れたことを確認したら、
次の切れ目が平らになるように2帖分だけ手繰りよせる。  これを14メートルの傷全てを
カバーできるまで繰り返す。 そして表面がおわれば、同様に裏面にも全く同じ作業を
行うのだ。 空気が流れにくい船内での作業に汗が額から滴り落ちる。 

Watch交代もはさんでヨットを走らせていないクルーが交代で作業を
おこない、約4時間で作業が終了した。   


仙人スキッパーと山下さんが補修の作業を開始



船内の床に破れたスピンを押し込む


補修作業中の山下さんとりょう 張られたテープの上をスプーンを使って押さえていく。


ブルーのセール生地の上に縦一本の補修テープのラインは、痛々しくもみえるが
我々の4時間の作業の勲章でもある。   
さっそく、補修したRunning Spinをあげる。  
誰もが傷をかばうように、いつもよりやさしくセールをハリヤードで引き上げ、いつもより
丁寧にスピンシートを引き込んでいく。  
風がスピンにはらんで”ボンっ”と音がするが
異常もなくLEGLUSを、風下方向へとぐんぐんと引っ張ってくれる。 
わずか幅7cm足らずのテープがどこまで頑張ってくれるのかな? 
できる限り距離を稼いでほしい、祈るような気持ちでセールトリムを開始した。 




水平線を見渡すと、スコールがあちこちで降っているのが見える。 
そしてそれを太陽が照らすときれいな虹が見えた。   
この日はいくつのスコールと虹をみながら、Running Spinをトリムしたのだろう。
何事もなかったかのように、Running Spin は風をはらみ続けた。 


ヘルムをとるバウマンマッキーと。 後方にスコールが迫っているのが見える。 




Is that Big Island?
『どれくらい陸に近づいたら、目で確認できるんですかね?』
最年少クルーのうずがそんなことをいった。  
そういえばスタートしてから11日目、海しかみていない日が続いている。

『30マイルくらいでも、夏だと見えないんじゃないかあ』
 
『じゃあアレは雲ですね。 なんか白く光って見えたんけどねえ』

え、アレ?  雲じゃないの、あんなに高いところに陸は見えないよ。


などと会話していたが、我々が見ていたのは紛れもなく陸だった。
ハワイ島マウナケア山頂にある各国の天文観測所が白く光っていたのだった。

スタートして11日目、カリフォルニア時間で7月11日21時(ハワイ時間で18時)
とうとうハワイ島が肉眼でみえるところまでLEGLUSは来ていた。   
ログで確認すると、島までの距離はほぼ38マイル手前だった。 



雲の上からマウナケア山頂付近の観測所が見える。(尾根に白い建物が)


そしてその日のサンセット。 ゴールまでは150マイルを切っている。  
これがレース中に見る最後のサンセットになるかと思うと、格別に見えた。 
そういえば、きれいに海に沈んだサンセットは
今回のレースでは見ることができなかった。 それともサンセットをじっくり見る暇もなかったのだろうか




ハワイ島の約30マイル手前に近づいた時点でLEGLUSは進路を
北西290度に変更。  ハワイ諸島にぶつかって北に進む海流に乗ってスピードを増
しながらマウイ、モロカイの2島をぎりぎりで交わす作戦だ。  
日が暮れてからは、ハワイ島の島影にいくつか街の明かりがみえた。 
夕方にみた11日ぶりの陸と同様に、夜にLEGLUS以外からの明かりをみるのは
久しぶり。 WatchOffになっても、まだデッキ上で明かりを見ていたい、
そんな気分だった。 

そして1時間もしないうちにマウイ島がみえてきた。 もう夜中だというのにはっきりと
島影がみえる。 距離も近いこともあり、ハワイ島より町の灯りは明るくみえた。   
昨日までの星しか見えなかった夜の帆走とは大違いだ。  
あかりのひとつひとつが人の活動している場所から届いていると
思うと、そこで生活している人達の平和が見えるようだ。  

フィニッシュ前100マイルコールをマウイ島の東端より北15マイル地点よりおこなう。 
ここからのコールでは自艇のポジションに加えて、フィニッシュの予測時間、
ETA(Estimated Time of Arrival )を伝える義務がある。  
現在の艇速から予想した到着時刻、ハワイ時間13日午前9時半を伝える。
レポートした後でも、本当にハワイ時間の午前中にダイヤモンドヘッドが見える位置に
いるのだろうか?自問してしまうような不思議な気持ちだった。 
早くフィニッシュしたいが、本当に4000Kmもセーリングしてきたのだろうか? 
実感が沸かなかった。 

2009年8月29日土曜日

Nasty god of winds: TP-6

コースの半分を過ぎてからは、速い速い。 艇速は10ノット以下になかなか落ちることはなく、
一日に200マイル以上帆走する日が続いた。   ウオッチ交代の際の会話には
かならず、『あと何マイル?』が入るようになっていた。 
LEGLUSは太平洋高気圧の中心を西に追い越して、亜熱帯気候の入り口にはいっていた。 
スタボーサイド(右舷)に太平洋高気圧が張り出して雲が中心を囲むように
発達しているのを肉眼でもはっきりと確認できるくらいだった。 
ウオッチのオフタイムも昼間では暑さと湿気のためになかなか眠りつけなくかってきたのも
この頃から。  数日前まではシュラフに包まって寒さをしのいでいたというのに。 
夏らしい入道雲も見られるようになると、それと同時にスコールが発生しているのが
はっきりと見えた。  大きな雲が発達したその下側が灰色に陰り激しい風雨が
発生しているのだ。  肉眼でも雨が降っているのが時にははっきりと見えた。 
スコールはそのサイズや向きによって、敵にも見方にもなる。  
チームによってはその下に吹く強い風を求めてスコールに突っ込むものもいると
いう。 我々LEGLUSはコースを優先させ、スコールを目指すでもなく、避けるでもなく、
Heading Angle 250度に合わせてすすんでいた。 
セールも一番の風下用、Running Spinnakerに変わっていた。   
ヨットで一番速いのは風下への帆走だが、また同時に一番リスクがあるのも風下帆走。 
風と同時に進んでいるとデッキ上ではみかけの風はほんの少ししか吹いていないが
実際にはみかけよりもずっと強い風が吹いている、その風の向きがちょっと変わった
だけで、巨大なメインセールの下側を支える金属製ブームがコックピットにゆれ戻ってきたりする
ブームパンチが起きたりする。 風の真下への帆走はデッドランとよび、ヘルムスマンは
舳先を風下真下へは向けないように舵を引く。 
LEGLUSはデッドランにはならないもののスピードとコースをもとめて、デッドに近い角度
での帆走がずっと続いていた。 


夏らしい入道雲の下にはいくつものスコールが見える。



そんな中、LEGLUSはちょっとやっかいなスコールに飛び込んでしまったのが9日目の早朝だった。
午前3時にウオッチONでデッキにでると、20ノット前後の風の中で風向きがくるくるとかわる中を、
ONのクルー全員がスコールと格闘していた。一度に90度以上も風向きがかわり、ヘルムをあわせるのも
尋常ではない。 セールトリマーはセールがばたつくのを抑えるために、シートを手繰りよせ、また風が
戻ると、シートを素早く出すという作業を、スコールに突入してから延々と繰り返していた。 
満月を雲が覆い、デッキを闇が包む。  トリマーは懐中電灯が照らすセールのわずかな部分
でセールの状態を判断していた。
雨はときおり強くなり、横風により我々の顔を真正面から濡らした。 
強い風のせいで、仲間の声も聞こえにくい。 
トランスパックへの挑戦が初めての我々をあざ笑うよう、風の神は次々に難題をつきつけてきていた。
 
はやく夜が明けてくれないか、せめて明るくなってセールの様子でも見やすくなれば、と考えて
いたときだった。 我々の隙をつき、風向を大きく変化させ、なんとかトリムできていた
Runnning spinnakerをフォアステイに絡ませてきた。  『危ない!シートを引いて!』
『もうだめ、きつくて引けない!引いたらセールが切れますよ!』  一瞬の会話を交わす間に
さらに風向きを変えて、みるみるランニングスピンがフォアステイに絡んでしまった。 
前帆を失い、くるくると回る風向の中でLEGLUSはうねりの中を木の葉のようにゆらゆらと
あおられていた。  
バウ(船の舳先部分)に飛び出して、セールの絡みを取ろうとしたが、揺れるデッキ上で
強い風にあおられてはなすすべもない。    
小さいセールならば、絡んだ部分から、よりを戻ししていけばいいのだが、20メートルのマストトップ
の上から下までの長さを持つセールの絡みをとる作業は大変だ。 
どうやってセールの絡みをとればいいんだ?  
何人かの口から意見がでたが、その度に他からの反応がない。 
誰にも正しい解が見つからない状態で数分が過ぎる。 
方法を考えているだけでも、刻一刻と時間が過ぎていき、ライバル達に先に進まれてしまう。 
もうこれ以上、デッキ上でゆっくりと議論をしている暇はない。 

スピードロスを防ぐため、Code3セールをあげ、帆走している状態で絡んだランニングスピンを
自らカットして(つまりセールを切り刻んで)フォアステーから取り去る。  これが短時間で選んだ
我々の苦渋の結論。   AllHandsCallで全員が作業開始する。 幸い時刻は午前5時を回り、
あたりは明るくなりだした。  バウマン、マッキー、リョウの二人はこれから最も危険な作業にとりかかるために
自らハーネスをつけて、準備する。   


ハーネスを装着したバウマン、マッキーと副艇長の山下さん


通常ならセールをあげるスピンハリヤードにバウマンを結びつけて、マスト上にあげる。 
フォアステーに届く位置からナイフで、はさみで、試行錯誤をくりかえしながらセールを切っていく。 
普通ならば、小さい穴でも補修して、大事に大事に扱うスピンネーカーを自らの手で切る
作業は見守る全員に辛かったに違いない。 
その間もLEGLUSは波に叩かれ、マストが大きく揺れるとハリヤードに吊り下げられたバウマンは
体が振り落とされないよう、手足でしがみつかなければならず、作業はそのたびに中断する。 
全員が顔をマスト上に向けて見守る中を二人のバウマンの努力でなんとかフォアステーから
セールを取り去り、再び安定して走れるようになったのは午前8時をまわっていた。




そしてロールコール。   聞きたくない、ライバル艇のポジションを記録。
我々がトラブルに見舞われている間にライバル達は快調に飛ばして
いたようだ。 やっとの思いで抜かしたWasabiにも追い返されてしまった。




そして夕陽とともに夜がくる。



昼間は順調に進んだが、また夜には激しいスコールに何度も遭遇した。 
WatchOffでバースで目をつぶっていても、シートやセールが風にあおられてばたついている音や、波が
デッキに叩きつけれれている音が何度も聞こえる。 そしてWatchONのクルー達のどなり声も。
あとどれくらいでストームをぬけれるんだ? 
もういいだろう。 そろそろ落ち着かせてくれよ。 
頭の中でそんな思いが錯綜していた。  

『またセールが破けたー! All hands! 全員でセールを回収! All hands!!』  

うそだろ、またかよー。 

All hands Callがかかると、濡れた重いカッパを着てデッキにひきづりだされる。 
うねりと風に翻弄されて揺れるデッキの上からやっとの思いで、  
雨と海水を含んだ重いセールを回収しても、又次の作業だ。 
一秒でも遅れを取り戻すために、次のセールを上げなければならない。 

『風が強すぎる、セールが耐え切れないぞ!』 
せっかく上がったセールも急な風速の上昇にたえられないとなると
すぐさまセールチェンジ。 

なんとか落ち着いたと思ってバースになだれこんでも、一向に
激しい風雨はなりやまない。   
そして、30分もしないうちに、またもトラブル。 

『セールが破けた!』
。。。
『All Hands! セールを回収するぞー。』
。。。
この晩は何度、All Hands Call が出たのだろうか、数えきれなかった。

結局、LEGLUSは、4枚のスピンネーカーを一晩で失ってしまった。 
こんなことあるのだろうか?  
翌日の朝、疲労と睡眠不足で疲れた脳は思考を拒否しているかの
ように考えることを嫌がっていたが、我々は昨晩の現実を理解し、次に進まねば
ならなかった。 
船内のバウ部分は風雨と海水で痛めつけられた4枚ものセールとその残骸がぐしゃぐしゃに
押し込まれており、これらを片付けなければ、船の前方部分にはアクセスできないほど。 
それに信じたくはないが、破れてしまったセールを見て、事実を確認するという作業が残っていた。 

そして駄目押しのライバル艇のポジション確認。 LEGLUSは5位に転落後もずるずると後退。 
もう少しでと追いかけていたCipangoには30マイルも差をつけられてしまった。
トップのCriminal Mischiefにいたっては我々の250マイルも西側にいた。  
250マイルもだ。 
彼らに24時間を完全に停止しなければならないトラブルが起きたとしても、我々の平均艇速が10マイル超で
ようやく追いつけるかどうかという絶望的な距離だった。 

2009年8月27日木曜日

Great Spinnaker run : TP-5

夜のワッチでもそれほど着込まずとも過ごせるようになった5日目くらいから我々はレースの中盤に入っていた。
いわゆるスロットランだ。 (最初に入ったスロットを維持しながら、風に合わせてなるだけ西へスピンネーカーで
艇速をあげていく。 )  10ノット以上の風が安定して吹くことも一日に何度もでてきた。  
スピンネーカーをトリムして、LEGLUSのスピードが上がることに専念していると、4時間のウオッチはあっという間。   
8ノットオーバー、ときには10ノットを超えるようになった艇速にもなれてきた。  
よく考えてみると、サンフランシスコベイでセーリングしているときなどは
これだけ艇速をあげて一方向に走るとあっという間に陸地にぶつかって、船の向きを変更しなければならない
というのに、LEGLUSはほぼ同じ角度でもう48時間以上も走りつづけている。 
そう、これがヨットマンが憧れる追っ手のスピンラン。  『飽きるほどずっと同じ角度で走れるよ』 
TP参加が決まったときに誰かに言われたことを思い出していた。   
もう陸からは数百マイルも離れたというのに、海上はまるで湾の中にいるように
うねりも小さくLEGLUSは快調に走っていた。 




ライバルの位置をみると、Bengal7が我々よりも北のコースを快調に飛ばしていた。 
先行していたCipangoに今日中に追いついてしまう勢いだ。 
スタート時には不安定だった太平洋高気圧が、その後順調に発達して、北側のコースにもいい風が
吹き始めていた。  Bengal7のナビゲーター森さんの見事な読みだった。  
南コースもいい風が吹いているようで、TachyonIIIも距離を伸ばしていた。 
同じ南コースで帆走するCriminal Mischiefが凄い、TachyonIIIより南にコースを
おとしてさらに早い艇速がでているようだった。 遠回りになるとはいえ、経度ではすでに
40マイル以上は西に先行しクラストップに立っていた。  
我々のライバルはWasabi、ほとんど同じ経度でLEGLUSの南側50マイルを帆走中だ。
レースはまだ中盤に入ったばかり、スピントリムの一瞬一瞬がライバル艇に追いつくチャンス。
そんなことを考えながらシートをトリムしていた。   
ふと見ると、シートをトリムするウインチドラムの周りのデッキはうっすらとシートの色に染まっていた。 
レース用に準備した新品のスピンシートがドラムで擦り切れて、そこからでたシートの繊維だった。
手にもマメができ、不快になってきていたがそんなことを気にしてはいられない。 
なんとか見えないWasabiに追いつきたい。 クルー全員そんな思いだったはず。 



ウインチドラムのまわりがシートの繊維でうっすらと青く染まる


さらに風はまわりTWA(True Wind Angle = 真の風向)で150度前後に推移していた。
これはほぼヨットの真後ろから風を受けて進む状態。 風速も15ノットオーバー、艇速も10ノットオーバー
で帆走していた。 セールもついにRunning Spin といって、一番風下に向かって進むセール
にかわっていた。   艇速はさらに増し、最高艇速13ノットだ、14ノットだ、ウオッチのたびに記録が更新
されるくらいに快調に進んでいた。  そしてライバルのWasabi もとらえて、順位をひとつあげる
ことにも成功した。 
海の色が変わったのもこの頃。 太陽があがると紺碧の海。 
雲も入道雲、すっかり夏のそれに変わっていた。   


7月8日(スタート7日目)午後2時過ぎ、ついにハーフポイント通過。 
ダイヤモンドヘッドまであと1100マイルとなった。 


Navigationソフトがどのセールがベストなのかを常に教えてくれる。 
カラーで色分けされたのがLEGLUSが積んでいるセールの種類。 
右側の白丸が風向と風速からNaviソフトが判断するセールをポイントする。 


時には手計算でゲインできる距離を計算。 


艇速がでるように、風に合わせて帆走しながらセールを入れ替える作業を何度も行う。

2009年8月25日火曜日

Nightmare on first night :TP-4

予想通りカタリナを回ってからは、風はどんどん落ちていった。 
10ノット以下の風で艇速は6ノット~5ノットになり、風だけで
走るヨットには苦しい展開となった。 
2度目のウオッチにはいったとき、南向きにとった進路が功を奏した
のか、すこしづつ風が吹き出し、夜半には再び10ノットオーバー
に。 日にちが7月3日へと変わる頃には風に合わせてセールチェンジを行い、
ジェネカー(風下帆走用セール)のCode 0 で距離を稼いでいた。 
こんなに早くジェネカーがあがるなんて、クルーの誰もが予想していなかった
のではないだろうか。 風も波も安定しているおかげで、レース一日目の
夜をLEGLUSは得意のアビームで快走していた。 

明け方近くになると風はさらに増し12ノットをオーバーし、
艇速も9ノット。 風がないと予想していた西側の海域を避けて
うまく風が吹き出した南西海域の北側のヘリを捉えたコース取り
を実感していた。
キャビンに入り、ナビ上で航路を見ると海図には現れない
風の境界が自分の目にははっきりと見えていた。  
そんなときだった。  
ヘルムを取っていたマッキーの『あうっ』という大きな叫び声が
聞こえた。 
デッキに飛び出してみると、驚く光景が目に飛び込んできた。 
Code 0 セールがヨットの前方になく、海上にひきずられている。
20メートル以上ある大きなセールが船体の横の海面に流されているのだ。 
スピンハリヤードを確認すると、セールヘッドの上部数メートルが
付いてはいたが、それ以外のほとんどが破れてセールの辺にある補強
部分の生地のみがマストのトップからぶら下がっているような状態。 
クルーもタックもすべてのシートはセールの残骸を保持していたが、
セールの真ん中だけがなくなってしまっていた。
Watch ONでデッキ上にいたクルー全員でいそいで破れた
セールを回収。  すぐに代わりのセールReacherをあげる。  
スピードのロスは最小限の10分程度に収まったが皆のショックは隠せない。   
誰も口には出さないがCode 0セールをスタートして2日目の早朝に失くしてしまった
ロスはあまりにも大きい。  このセールは風を横から後ろ斜め方向に
うけて帆走するときのもので、TPのコースにうちに最初の1/3 でもっともよく
使うであろうセールであるし、LEGLUSの得意な角度でスピードが稼げる
一番の武器でもあった。 
デッキでセールをトリムしているものの、今後のレースにCode 0 のロスが
どんな影響を及ぼすのかばかりが頭に浮かんできた。
悪いことは続くものだ。  最初のロールコールでもトラブルが発生した。
ロールコールとはSSB無線機を通じて、レースのコミュニケーションボート
Alaska Eagleにヨットの位置情報や風速、風向を伝えるもの。 
Transpacの場合は午前の6時の緯度経度情報を午前8時のロールコールで
伝えるようRace Instructionに規定されていた。  午前8時の15分ほど前より
Code 0 セールのショックを引きずったまま、記録していた午前6時のLEGLUS
のポジションをメモに、SSB無線機の前に座っていた。  
様子が変と気がついたのはそれから5分ほどしてからだった。 
他艇からの信号が非常に弱く、スピーカーからの大きなノイズにかき消されて
ほとんど聞こえない状況だった。  それは午前8時を過ぎても状況は変わらなかった。 
すでにロールコールは始まっているであろうに、ほとんどの交信がノイズにかき消されて
聞こえないのだ。  その中で信号がわずかに受信ができたヨットもあった。 
Category5に出場しているHorizon。 自艇位置を伝える声は聞こえるのだが、Communication
ボートからの返信は何も聞こえない。 Horizonを急いでコール、我々の位置を
伝え場所のリレーをお願いした。  返事がない。  もう一度コール。 やはり
同様。  他ライバル艇の位置もロールコールでの受信ができなければ
まったくわからない状況。  デッキ上から視界には、数艇のヨットの航海灯
が見えていた。 多分、そのうちのどれかがHorizonなのだろう。
夜間の有効視界に見えているということは10マイル前後の距離であろう。
LEGLUSのSSB無線機は10マイル程度の範囲の信号しか拾えないし、送信も
できていないということであろう。 (その後無線機の受信不良はバッテリー12V
をAC100Vに変換するインバーターより発生していることが判明。 無線通信時に
インバーターをオフにすることで、その後のロールコールは無事に行うことができた)

幸いSanyoさんがスポンサーしてくれたBGAN( Broadband Global Area Network)
の通信装置をLEGLUSは積んでいた。インマルサット社が提供している衛星をつかった
ネットワークサービスで、こいつのおかげでアンテナに衛星をキャッチできさえすれば
450Kbpsで通信することができた。  さっそくこいつを使ってコミュニケーションボートの
Alaska Eagleに6時の自艇位置とSSBのトラブルを告げるメールを送っておいた。 
それと同時にTPYC (Transpac Yacht Club )が一般にも公開しているレース参加艇の
位置情報をダウンロード。  4時間遅れで提供しているとはいえ、ロールコールが
できなかった我々には貴重な情報。 
結果を海図上にだしてみると、皆が集まってきた。 
スタートでは負けていたBengal 7 が風が弱いエリアにいた。  驚いたのはTachyon III
20時間が過ぎた今でも、まだ進路を真南に向けて進んでいた。 

その日の日中は風がまた落ちてしまった。 
せっかく抜けた弱風地帯であったが、南に移動して、またそのヘリにつかまってしまった
格好だ。 Code 0 のトラブルもあり、クルー皆、元気がないままに時間が過ぎていく。 
セールは Code 3に変更し、角度はベストではないものの少しでも艇速を稼ごうと
頑張ったが、一日中曇った空のように、LEGLUSの走りにも覇気がない。  



そして又夜が来た。 7月ということが信じられないくらいに寒い太平洋
カタリナ沖200マイルの2日目の夜。 
夜のウオッチではフリースを着込み、厚手のカッパを着ても冷気が伝わってくる。 
数時間置きにとっているライバル艇の位置情報からも他のチームも苦労している
ことがわかる。  そんななかで風を掴んで快走していたのがTachyon III
だった。 南に進んで距離が長くはなったが、時間ごとの移動距離が、他艇に比べて
段違いに伸びているのがわかる。  
逆に西にすすんだBengal 7には経度では追いついたように見えていた。 彼らも弱風で
苦しんでいるに違いない。     
どのエリアから風が吹いてくるのか? それはいつなのか? ナビゲーションの画面を
みながら、二つの疑問を繰り返した。 





3日目になると風は弱いばかりでなく、西へまわりせっかく上げたCode 3 セールを下ろしてJibを上げなおさなければ
ならないこともしばしば。 (本来ならばCode 0 でカバーできたところかも) 

こんななかで、皆を元気にしてくれたのは美味しい食事だった。 
一日に一食だけでもきちんと美味しいものを食べたい、そんな皆の要望にこたえるために、真空パックにした
料理を準備していた。  真空パックといってもレトルトではなく、調理した食材を一人分づつパックにして
冷凍保存したLEGLUSの好みに合わせたカスタムオーダー。 知人のシェフにお願いして作っていただいた。 
とりわけ寒い夜のウオッチの際に暖かい豚汁やおでんはうれしかった。 
シチューやボルシチ、それにご飯や野菜類までも新鮮なものをパックにしていただいた。 






スピンネーカーをあげるシート、スピンハリヤードは定期的に外皮チェックと修理を繰り返す。 
24時間同じシートを使うと、ちょっとした摩擦でもこんなに痛んでしまうのだ。 





思ったほど上がらない風、Code0の破損もあり、大事な序盤に思ったような走りができなかったLEGLUSだが
時間は過ぎ、レース4日目、5日目になると、より風下への帆走につかうAll Purpose Spinnaker
があがるようになってきた。  これは最初の1/3が過ぎ、中盤に入り風が後ろに回ってきたことを示していた。