2009年9月2日水曜日

After 2250 miles of sailing : TP-8 fin

夜があけると、クルー全員がデッキにでてきた。 
10マイルオーバーで帆走するLEGLUSのポートサイド(左手側)にはモロカイ島が見える。 
これまでのレースを振り返りながら、モロカイ島を見ていると、陸地の存在からか格別の
安心感を感じた。  もう、他に何も見えない太平洋のど真ん中ではないのだ。 
そして25マイル前コールを行う。 もうコミュニケーションボートではなく、ダイヤモンドヘッドの
大会本部へのコール。   




そして、最後の難関モロカイチャネルが近づいていた。 
レーススタートの6ヶ月前のレースに初めて参加するチームのための説明会で
見た、トランスパックレース中に壊れたヨットの写真を思い出した。 
セールが破れたものなどトラブルに入らないくらいに、船に大きなダメージを
追った過去の参加艇達。 マストが折れたもの、ブームが曲がったもの、ラダーを失ったもの。
45回の歴史の中でそういったトラブルが一番頻繁に起こった、マウイ島とモロカイ島の
強い風と強い海流が流れているその場所がモロカイチャネル。


モロカイチャネル突入前にCode3にセールチェンジ
左手にココヘッド、そしてその向こうにダイヤモンドヘッドが見える。


夜明け前、モロカイ島東を帆走中に補修をして頑張っていたRunnningSpinnakerも破れてしまった。 
無理もない、補修をした72時間以上も時には20ノットオーバーの風を受け続けてくれた。 
これで残っているスピンネーカーは2枚だけになってしまった。 
正確にいえば、Code3とレインボーというニックネームのGennakerセールのみ。 
これはLEGLUSにとっては非常に厳しい最後の試練かもしれなかった。 
LEGLUSは元々大阪メルボルンダブルハンドレースに挑戦するためにショートハンド(少ない
乗員)で乗れるように工夫されたヨットであったが、裏を返せばあまり細かい操船をしない
(できない)ように設計されていた。 その後オーナーが変わる度にいろいろな儀装の工夫
やクルーのアイデアで弱点は克服されていたが、唯一残っていたのがGennakerでの
ジャイブ(風下へヨットをむけてセールの向きを変えること)のハンドリングだった。  
ジャイブする際に普通のヨットと違いスピンポールの根元を
はずすという作業をしなければならなかった。   風が弱い状態ならば簡単な
作業だが、強風下での作業はバウマンに危険がともなうばかりでなく、ポールやセールの
破損などのトラブルを引き起こしてしまう可能性が大きくなってしまう作業だった。
このままのコースで進めば、モロカイチャネルの真ん中で、この危険なジャイブ作業を
しなければならない。    

モロカイに差し掛かると同時に風向きが東から北側にすこしづつシフトしていった。 
ジャイブなしでもチャネルを抜けてフィニッシュラインにぎりぎり届くコースの
可能性が見えてきた。    海図上では簡単にひける一本の直線だが、
風が一瞬一瞬変化する海上で、しかも風下真っすぐに帆走しているヨットでは
このコースが非常にむずかしいことはクルーの誰の目にも明らか。  リスクがあるのは
ジャイブだけではなかった。 チャネル北側のオアフ沿岸は、危険な浅瀬が多く
ここは絶対に近づいてはいけないエリア。 
今の風向きなら一本の直線コースをぎりぎり通過できるが、少しでも
風向きが逆にシフトすれば、座礁をさけるために、すぐにジャイブを行わなければ
ならないという綱渡りをLEGLUSは始めてしまっていたのだった。

仙人スキッパーはジャイブしないぎりぎりのコースを探るようにヘルムを取っていた。 
クルーも全員がデッキにあがって近づいてくるオアフ島を見ながら祈っていたはずだ。 
最後は神が味方してくれたのだろう、風向きはそのままシフトすることなく
安定して、しかもモロカイチャネルにしては非常にやさしく、LEGLUS
を歓迎してくれた。  20ノット弱の風の中をLEGLUSは快走してダイヤモンドヘッド
に近づいていた。   そしてダイヤモンドヘッドの灯台が見えてきた。
それに赤いダイヤモンドヘッド沖のブイも。   灯台とダイヤモンドヘッドブイを結ぶ
仮想線上、ブイの南側がフィニッシュライン。  
LongBeachをスタートして太平洋上ではばらばらになった参加50艇の全てが
このブイを目指して2250マイルを渡ってくるのだ。 


モロカイ北側からオアフのダイヤモンドヘッドまでのまっすぐならトラックライン。 風向きマークが
トラックとほぼ重なっている。 20ノットの風の中、真ランぎりぎりで帆走したのがわかる。




全員、チームユニフォームのアロハシャツに着替えてゴールを待つ
数少ない航海中のクルー全員での一枚



そしてLEGLUSもこのブイを通過した。  
11日と23時間前にロングビーチをスタートしてから
ずっと目指していたダイヤモンドヘッド沖のレッドブイ。  

ハワイ時間7月13日午前9時19分49秒だった。 



フィニッシュを通過してから、目に飛び込んできたワイキキは、いままで見てきた
海だけの景色からは想像できないくらいに豪華絢爛に見えた。 
そのビーチには派手な水着やアロハシャツをまとった人達が闊歩しているのだ。
なんて平和な島なのだろう。    


Hawaii Yacht Clubのボートに先導されてAla Wai ハーバーに入っていく。 
ヨットクラブから船名やクルーの名前がAlohaとともにコールされるのが聞こえてきた。 
LEGLUSのアロハシャツを着た人達がヨットクラブ前に何人も見えてきた。  
日本から来たLEGLUSのサポーター、家族の皆さんだった。   
知っている顔もたくさん見えてきた、わずか12日前、スタートまで
応援に来てくれたLEGLUSのオーナー、サポーター、家族の顔もなぜか
懐かしい。    ポンツーンにLEGLUSがドックしてからは、皆さんの
大歓迎を受けた。 まずはパイナップル容器入りのマイタイで乾杯。
クラブのボランティアの人達とチームサポーターが協力して準備してくれた、
素晴らしい食事の数々をいただきながら、話は尽きない。  
全員で40名+LEGLUSでヨットクラブをほとんど占領してしまった。 
見ず知らずのヨットクラブの人達からも声をかけられた、
『いままでゴールしたどのヨットよりも一番派手な歓迎だぞ、お前達。』
クラス6艇の参加中5位。 けっして誇れる結果ではないが、
応援してくれた仲間達はどこのチームにも負けないようだ。 






そして夢のような時間を、大好きな仲間や家族達とハワイの太陽の下で堪能した。 


Epilogue  
冨倉オーナーとCMCが2年をかけてサポートしたLEGLUSでのTranspacの
挑戦はハワイに無事フィニッシュしたことで終わった。  満足できる
成績ではなかったけれども、トランスパックに参加できたこと、LEGLUSにナビゲーター
として携わったこと、そしてレースに参加したファイナルクルーだけでなく、
ファイナルに残れなかったクルーメンバー、ヨットを太平洋を渡って運んできて
くださった回航メンバー、LEGLUSと関わったすべての人達に会えた幸運と
それを実現してくれたヨットLEGLUSに心より感謝の意を表明します。 

自分の長年の太平洋を渡りたいという想いはかなえてもらえたが、
チームにはどんなことをしてあげたのだろうか?

貢献できたのかな? 

レース中に引いたコースはどうだったのか?

あのとき、もう少し違うコースを取ったならどうなったのだろう?

自分があそこでヘルムをとっていたなら、どうしたろう? 

フィニッシュして時間がたった今でも、Transpacを振り返ると
そんなことが頭に浮かんでしまう。  

レーススタート前に参加したスキッパーズミーティングで、開催側
の司会者が参加チームのスキッパーに質問したことを思い出して
いた。 『5回以上の出場者はこの中に何人くらいいるのかい?』
と言われて10人以上のスキッパーの手が上がったのを思い出した。 
なかには、10回以上のスキッパーも!  
一度レースに出たら、また戻りたくなってしまう、また挑戦したく
なってしまう。  1年以上の準備と練習、そして費用も通常の
ヨットレースとは桁違いにも関わらず。 
これがトランスパックの魅力なのだなと納得しながらも2年後の
有給休暇の言い訳を考えはじめている自分がいた。 


最後に:
貴重な体験をなるだけ忘れないうちに、記録を残そうと書き連ねている
うちにずるずるとこの長さとなってしまいましたが、
最後までお付き合いいただきありがとうございました。        
月日はあっという間に流れ、Transpacのフィニッシュから6週間が過ぎ、
すでに9月に入ってしまいました。 

LEGLUSはTPフィニッシュ後に再び太平洋を越えて、SFに戻ってきました。
現在はSausalitoにて係留され、今回のプロジェクトをUSからサポートした
チームSeekerが暫く預かることになりました。 
新しいメンバーを乗せて、SFベイをセーリングすることになるかと思います。 
LEGLUSに乗りたい、ヨットを学んでみたいという人がいれば
いつでもコンタクトをお待ちしています。    

2009年9月1日火曜日

Over the rainbow : TP-7

破れたセールを片付けるのは辛い作業だったが、よいニュースもあった。 
RunnningSpinの一枚は縦に裂けたように切れていたので、補修の可能性がでてきた。 
裂けた部分をメジャーを何度も手繰りながらはかってみると、14メートル。 
両面からテープを張って補修するには最低でも30メートルのテープが必要。 
事前に準備しておいた、補修テープは20メートル。  あとは1.2メートルx1メートルの
大きな補修パッチがあった。 補修パッチをテープとほぼ同じ7.5センチ幅に切り取って
長さ1.2メートルの補修テープが10本完成、なんとか補修できそうだ。 
あとはきれいに張るだけなのだが。。。。 
全長が16メートルのヨットの上で20メートルのセールを補修することがどんなに大変か
想像できるだろうか。  しかも平らの部分は船内に入って何も置かれていないたった
畳2帖分ほどの床面しかない。  巨大なセールをコックピット入り口に押し込んで、切れている
部分を上から広げて、2帖分だけ平らにして、その部分にテープを張る。 張り終わったら、
テープの上をスピーンで擦って丁寧に空気を抜いていく。  きちんと張れたことを確認したら、
次の切れ目が平らになるように2帖分だけ手繰りよせる。  これを14メートルの傷全てを
カバーできるまで繰り返す。 そして表面がおわれば、同様に裏面にも全く同じ作業を
行うのだ。 空気が流れにくい船内での作業に汗が額から滴り落ちる。 

Watch交代もはさんでヨットを走らせていないクルーが交代で作業を
おこない、約4時間で作業が終了した。   


仙人スキッパーと山下さんが補修の作業を開始



船内の床に破れたスピンを押し込む


補修作業中の山下さんとりょう 張られたテープの上をスプーンを使って押さえていく。


ブルーのセール生地の上に縦一本の補修テープのラインは、痛々しくもみえるが
我々の4時間の作業の勲章でもある。   
さっそく、補修したRunning Spinをあげる。  
誰もが傷をかばうように、いつもよりやさしくセールをハリヤードで引き上げ、いつもより
丁寧にスピンシートを引き込んでいく。  
風がスピンにはらんで”ボンっ”と音がするが
異常もなくLEGLUSを、風下方向へとぐんぐんと引っ張ってくれる。 
わずか幅7cm足らずのテープがどこまで頑張ってくれるのかな? 
できる限り距離を稼いでほしい、祈るような気持ちでセールトリムを開始した。 




水平線を見渡すと、スコールがあちこちで降っているのが見える。 
そしてそれを太陽が照らすときれいな虹が見えた。   
この日はいくつのスコールと虹をみながら、Running Spinをトリムしたのだろう。
何事もなかったかのように、Running Spin は風をはらみ続けた。 


ヘルムをとるバウマンマッキーと。 後方にスコールが迫っているのが見える。 




Is that Big Island?
『どれくらい陸に近づいたら、目で確認できるんですかね?』
最年少クルーのうずがそんなことをいった。  
そういえばスタートしてから11日目、海しかみていない日が続いている。

『30マイルくらいでも、夏だと見えないんじゃないかあ』
 
『じゃあアレは雲ですね。 なんか白く光って見えたんけどねえ』

え、アレ?  雲じゃないの、あんなに高いところに陸は見えないよ。


などと会話していたが、我々が見ていたのは紛れもなく陸だった。
ハワイ島マウナケア山頂にある各国の天文観測所が白く光っていたのだった。

スタートして11日目、カリフォルニア時間で7月11日21時(ハワイ時間で18時)
とうとうハワイ島が肉眼でみえるところまでLEGLUSは来ていた。   
ログで確認すると、島までの距離はほぼ38マイル手前だった。 



雲の上からマウナケア山頂付近の観測所が見える。(尾根に白い建物が)


そしてその日のサンセット。 ゴールまでは150マイルを切っている。  
これがレース中に見る最後のサンセットになるかと思うと、格別に見えた。 
そういえば、きれいに海に沈んだサンセットは
今回のレースでは見ることができなかった。 それともサンセットをじっくり見る暇もなかったのだろうか




ハワイ島の約30マイル手前に近づいた時点でLEGLUSは進路を
北西290度に変更。  ハワイ諸島にぶつかって北に進む海流に乗ってスピードを増
しながらマウイ、モロカイの2島をぎりぎりで交わす作戦だ。  
日が暮れてからは、ハワイ島の島影にいくつか街の明かりがみえた。 
夕方にみた11日ぶりの陸と同様に、夜にLEGLUS以外からの明かりをみるのは
久しぶり。 WatchOffになっても、まだデッキ上で明かりを見ていたい、
そんな気分だった。 

そして1時間もしないうちにマウイ島がみえてきた。 もう夜中だというのにはっきりと
島影がみえる。 距離も近いこともあり、ハワイ島より町の灯りは明るくみえた。   
昨日までの星しか見えなかった夜の帆走とは大違いだ。  
あかりのひとつひとつが人の活動している場所から届いていると
思うと、そこで生活している人達の平和が見えるようだ。  

フィニッシュ前100マイルコールをマウイ島の東端より北15マイル地点よりおこなう。 
ここからのコールでは自艇のポジションに加えて、フィニッシュの予測時間、
ETA(Estimated Time of Arrival )を伝える義務がある。  
現在の艇速から予想した到着時刻、ハワイ時間13日午前9時半を伝える。
レポートした後でも、本当にハワイ時間の午前中にダイヤモンドヘッドが見える位置に
いるのだろうか?自問してしまうような不思議な気持ちだった。 
早くフィニッシュしたいが、本当に4000Kmもセーリングしてきたのだろうか? 
実感が沸かなかった。