2009年8月29日土曜日

Nasty god of winds: TP-6

コースの半分を過ぎてからは、速い速い。 艇速は10ノット以下になかなか落ちることはなく、
一日に200マイル以上帆走する日が続いた。   ウオッチ交代の際の会話には
かならず、『あと何マイル?』が入るようになっていた。 
LEGLUSは太平洋高気圧の中心を西に追い越して、亜熱帯気候の入り口にはいっていた。 
スタボーサイド(右舷)に太平洋高気圧が張り出して雲が中心を囲むように
発達しているのを肉眼でもはっきりと確認できるくらいだった。 
ウオッチのオフタイムも昼間では暑さと湿気のためになかなか眠りつけなくかってきたのも
この頃から。  数日前まではシュラフに包まって寒さをしのいでいたというのに。 
夏らしい入道雲も見られるようになると、それと同時にスコールが発生しているのが
はっきりと見えた。  大きな雲が発達したその下側が灰色に陰り激しい風雨が
発生しているのだ。  肉眼でも雨が降っているのが時にははっきりと見えた。 
スコールはそのサイズや向きによって、敵にも見方にもなる。  
チームによってはその下に吹く強い風を求めてスコールに突っ込むものもいると
いう。 我々LEGLUSはコースを優先させ、スコールを目指すでもなく、避けるでもなく、
Heading Angle 250度に合わせてすすんでいた。 
セールも一番の風下用、Running Spinnakerに変わっていた。   
ヨットで一番速いのは風下への帆走だが、また同時に一番リスクがあるのも風下帆走。 
風と同時に進んでいるとデッキ上ではみかけの風はほんの少ししか吹いていないが
実際にはみかけよりもずっと強い風が吹いている、その風の向きがちょっと変わった
だけで、巨大なメインセールの下側を支える金属製ブームがコックピットにゆれ戻ってきたりする
ブームパンチが起きたりする。 風の真下への帆走はデッドランとよび、ヘルムスマンは
舳先を風下真下へは向けないように舵を引く。 
LEGLUSはデッドランにはならないもののスピードとコースをもとめて、デッドに近い角度
での帆走がずっと続いていた。 


夏らしい入道雲の下にはいくつものスコールが見える。



そんな中、LEGLUSはちょっとやっかいなスコールに飛び込んでしまったのが9日目の早朝だった。
午前3時にウオッチONでデッキにでると、20ノット前後の風の中で風向きがくるくるとかわる中を、
ONのクルー全員がスコールと格闘していた。一度に90度以上も風向きがかわり、ヘルムをあわせるのも
尋常ではない。 セールトリマーはセールがばたつくのを抑えるために、シートを手繰りよせ、また風が
戻ると、シートを素早く出すという作業を、スコールに突入してから延々と繰り返していた。 
満月を雲が覆い、デッキを闇が包む。  トリマーは懐中電灯が照らすセールのわずかな部分
でセールの状態を判断していた。
雨はときおり強くなり、横風により我々の顔を真正面から濡らした。 
強い風のせいで、仲間の声も聞こえにくい。 
トランスパックへの挑戦が初めての我々をあざ笑うよう、風の神は次々に難題をつきつけてきていた。
 
はやく夜が明けてくれないか、せめて明るくなってセールの様子でも見やすくなれば、と考えて
いたときだった。 我々の隙をつき、風向を大きく変化させ、なんとかトリムできていた
Runnning spinnakerをフォアステイに絡ませてきた。  『危ない!シートを引いて!』
『もうだめ、きつくて引けない!引いたらセールが切れますよ!』  一瞬の会話を交わす間に
さらに風向きを変えて、みるみるランニングスピンがフォアステイに絡んでしまった。 
前帆を失い、くるくると回る風向の中でLEGLUSはうねりの中を木の葉のようにゆらゆらと
あおられていた。  
バウ(船の舳先部分)に飛び出して、セールの絡みを取ろうとしたが、揺れるデッキ上で
強い風にあおられてはなすすべもない。    
小さいセールならば、絡んだ部分から、よりを戻ししていけばいいのだが、20メートルのマストトップ
の上から下までの長さを持つセールの絡みをとる作業は大変だ。 
どうやってセールの絡みをとればいいんだ?  
何人かの口から意見がでたが、その度に他からの反応がない。 
誰にも正しい解が見つからない状態で数分が過ぎる。 
方法を考えているだけでも、刻一刻と時間が過ぎていき、ライバル達に先に進まれてしまう。 
もうこれ以上、デッキ上でゆっくりと議論をしている暇はない。 

スピードロスを防ぐため、Code3セールをあげ、帆走している状態で絡んだランニングスピンを
自らカットして(つまりセールを切り刻んで)フォアステーから取り去る。  これが短時間で選んだ
我々の苦渋の結論。   AllHandsCallで全員が作業開始する。 幸い時刻は午前5時を回り、
あたりは明るくなりだした。  バウマン、マッキー、リョウの二人はこれから最も危険な作業にとりかかるために
自らハーネスをつけて、準備する。   


ハーネスを装着したバウマン、マッキーと副艇長の山下さん


通常ならセールをあげるスピンハリヤードにバウマンを結びつけて、マスト上にあげる。 
フォアステーに届く位置からナイフで、はさみで、試行錯誤をくりかえしながらセールを切っていく。 
普通ならば、小さい穴でも補修して、大事に大事に扱うスピンネーカーを自らの手で切る
作業は見守る全員に辛かったに違いない。 
その間もLEGLUSは波に叩かれ、マストが大きく揺れるとハリヤードに吊り下げられたバウマンは
体が振り落とされないよう、手足でしがみつかなければならず、作業はそのたびに中断する。 
全員が顔をマスト上に向けて見守る中を二人のバウマンの努力でなんとかフォアステーから
セールを取り去り、再び安定して走れるようになったのは午前8時をまわっていた。




そしてロールコール。   聞きたくない、ライバル艇のポジションを記録。
我々がトラブルに見舞われている間にライバル達は快調に飛ばして
いたようだ。 やっとの思いで抜かしたWasabiにも追い返されてしまった。




そして夕陽とともに夜がくる。



昼間は順調に進んだが、また夜には激しいスコールに何度も遭遇した。 
WatchOffでバースで目をつぶっていても、シートやセールが風にあおられてばたついている音や、波が
デッキに叩きつけれれている音が何度も聞こえる。 そしてWatchONのクルー達のどなり声も。
あとどれくらいでストームをぬけれるんだ? 
もういいだろう。 そろそろ落ち着かせてくれよ。 
頭の中でそんな思いが錯綜していた。  

『またセールが破けたー! All hands! 全員でセールを回収! All hands!!』  

うそだろ、またかよー。 

All hands Callがかかると、濡れた重いカッパを着てデッキにひきづりだされる。 
うねりと風に翻弄されて揺れるデッキの上からやっとの思いで、  
雨と海水を含んだ重いセールを回収しても、又次の作業だ。 
一秒でも遅れを取り戻すために、次のセールを上げなければならない。 

『風が強すぎる、セールが耐え切れないぞ!』 
せっかく上がったセールも急な風速の上昇にたえられないとなると
すぐさまセールチェンジ。 

なんとか落ち着いたと思ってバースになだれこんでも、一向に
激しい風雨はなりやまない。   
そして、30分もしないうちに、またもトラブル。 

『セールが破けた!』
。。。
『All Hands! セールを回収するぞー。』
。。。
この晩は何度、All Hands Call が出たのだろうか、数えきれなかった。

結局、LEGLUSは、4枚のスピンネーカーを一晩で失ってしまった。 
こんなことあるのだろうか?  
翌日の朝、疲労と睡眠不足で疲れた脳は思考を拒否しているかの
ように考えることを嫌がっていたが、我々は昨晩の現実を理解し、次に進まねば
ならなかった。 
船内のバウ部分は風雨と海水で痛めつけられた4枚ものセールとその残骸がぐしゃぐしゃに
押し込まれており、これらを片付けなければ、船の前方部分にはアクセスできないほど。 
それに信じたくはないが、破れてしまったセールを見て、事実を確認するという作業が残っていた。 

そして駄目押しのライバル艇のポジション確認。 LEGLUSは5位に転落後もずるずると後退。 
もう少しでと追いかけていたCipangoには30マイルも差をつけられてしまった。
トップのCriminal Mischiefにいたっては我々の250マイルも西側にいた。  
250マイルもだ。 
彼らに24時間を完全に停止しなければならないトラブルが起きたとしても、我々の平均艇速が10マイル超で
ようやく追いつけるかどうかという絶望的な距離だった。 

2009年8月27日木曜日

Great Spinnaker run : TP-5

夜のワッチでもそれほど着込まずとも過ごせるようになった5日目くらいから我々はレースの中盤に入っていた。
いわゆるスロットランだ。 (最初に入ったスロットを維持しながら、風に合わせてなるだけ西へスピンネーカーで
艇速をあげていく。 )  10ノット以上の風が安定して吹くことも一日に何度もでてきた。  
スピンネーカーをトリムして、LEGLUSのスピードが上がることに専念していると、4時間のウオッチはあっという間。   
8ノットオーバー、ときには10ノットを超えるようになった艇速にもなれてきた。  
よく考えてみると、サンフランシスコベイでセーリングしているときなどは
これだけ艇速をあげて一方向に走るとあっという間に陸地にぶつかって、船の向きを変更しなければならない
というのに、LEGLUSはほぼ同じ角度でもう48時間以上も走りつづけている。 
そう、これがヨットマンが憧れる追っ手のスピンラン。  『飽きるほどずっと同じ角度で走れるよ』 
TP参加が決まったときに誰かに言われたことを思い出していた。   
もう陸からは数百マイルも離れたというのに、海上はまるで湾の中にいるように
うねりも小さくLEGLUSは快調に走っていた。 




ライバルの位置をみると、Bengal7が我々よりも北のコースを快調に飛ばしていた。 
先行していたCipangoに今日中に追いついてしまう勢いだ。 
スタート時には不安定だった太平洋高気圧が、その後順調に発達して、北側のコースにもいい風が
吹き始めていた。  Bengal7のナビゲーター森さんの見事な読みだった。  
南コースもいい風が吹いているようで、TachyonIIIも距離を伸ばしていた。 
同じ南コースで帆走するCriminal Mischiefが凄い、TachyonIIIより南にコースを
おとしてさらに早い艇速がでているようだった。 遠回りになるとはいえ、経度ではすでに
40マイル以上は西に先行しクラストップに立っていた。  
我々のライバルはWasabi、ほとんど同じ経度でLEGLUSの南側50マイルを帆走中だ。
レースはまだ中盤に入ったばかり、スピントリムの一瞬一瞬がライバル艇に追いつくチャンス。
そんなことを考えながらシートをトリムしていた。   
ふと見ると、シートをトリムするウインチドラムの周りのデッキはうっすらとシートの色に染まっていた。 
レース用に準備した新品のスピンシートがドラムで擦り切れて、そこからでたシートの繊維だった。
手にもマメができ、不快になってきていたがそんなことを気にしてはいられない。 
なんとか見えないWasabiに追いつきたい。 クルー全員そんな思いだったはず。 



ウインチドラムのまわりがシートの繊維でうっすらと青く染まる


さらに風はまわりTWA(True Wind Angle = 真の風向)で150度前後に推移していた。
これはほぼヨットの真後ろから風を受けて進む状態。 風速も15ノットオーバー、艇速も10ノットオーバー
で帆走していた。 セールもついにRunning Spin といって、一番風下に向かって進むセール
にかわっていた。   艇速はさらに増し、最高艇速13ノットだ、14ノットだ、ウオッチのたびに記録が更新
されるくらいに快調に進んでいた。  そしてライバルのWasabi もとらえて、順位をひとつあげる
ことにも成功した。 
海の色が変わったのもこの頃。 太陽があがると紺碧の海。 
雲も入道雲、すっかり夏のそれに変わっていた。   


7月8日(スタート7日目)午後2時過ぎ、ついにハーフポイント通過。 
ダイヤモンドヘッドまであと1100マイルとなった。 


Navigationソフトがどのセールがベストなのかを常に教えてくれる。 
カラーで色分けされたのがLEGLUSが積んでいるセールの種類。 
右側の白丸が風向と風速からNaviソフトが判断するセールをポイントする。 


時には手計算でゲインできる距離を計算。 


艇速がでるように、風に合わせて帆走しながらセールを入れ替える作業を何度も行う。

2009年8月25日火曜日

Nightmare on first night :TP-4

予想通りカタリナを回ってからは、風はどんどん落ちていった。 
10ノット以下の風で艇速は6ノット~5ノットになり、風だけで
走るヨットには苦しい展開となった。 
2度目のウオッチにはいったとき、南向きにとった進路が功を奏した
のか、すこしづつ風が吹き出し、夜半には再び10ノットオーバー
に。 日にちが7月3日へと変わる頃には風に合わせてセールチェンジを行い、
ジェネカー(風下帆走用セール)のCode 0 で距離を稼いでいた。 
こんなに早くジェネカーがあがるなんて、クルーの誰もが予想していなかった
のではないだろうか。 風も波も安定しているおかげで、レース一日目の
夜をLEGLUSは得意のアビームで快走していた。 

明け方近くになると風はさらに増し12ノットをオーバーし、
艇速も9ノット。 風がないと予想していた西側の海域を避けて
うまく風が吹き出した南西海域の北側のヘリを捉えたコース取り
を実感していた。
キャビンに入り、ナビ上で航路を見ると海図には現れない
風の境界が自分の目にははっきりと見えていた。  
そんなときだった。  
ヘルムを取っていたマッキーの『あうっ』という大きな叫び声が
聞こえた。 
デッキに飛び出してみると、驚く光景が目に飛び込んできた。 
Code 0 セールがヨットの前方になく、海上にひきずられている。
20メートル以上ある大きなセールが船体の横の海面に流されているのだ。 
スピンハリヤードを確認すると、セールヘッドの上部数メートルが
付いてはいたが、それ以外のほとんどが破れてセールの辺にある補強
部分の生地のみがマストのトップからぶら下がっているような状態。 
クルーもタックもすべてのシートはセールの残骸を保持していたが、
セールの真ん中だけがなくなってしまっていた。
Watch ONでデッキ上にいたクルー全員でいそいで破れた
セールを回収。  すぐに代わりのセールReacherをあげる。  
スピードのロスは最小限の10分程度に収まったが皆のショックは隠せない。   
誰も口には出さないがCode 0セールをスタートして2日目の早朝に失くしてしまった
ロスはあまりにも大きい。  このセールは風を横から後ろ斜め方向に
うけて帆走するときのもので、TPのコースにうちに最初の1/3 でもっともよく
使うであろうセールであるし、LEGLUSの得意な角度でスピードが稼げる
一番の武器でもあった。 
デッキでセールをトリムしているものの、今後のレースにCode 0 のロスが
どんな影響を及ぼすのかばかりが頭に浮かんできた。
悪いことは続くものだ。  最初のロールコールでもトラブルが発生した。
ロールコールとはSSB無線機を通じて、レースのコミュニケーションボート
Alaska Eagleにヨットの位置情報や風速、風向を伝えるもの。 
Transpacの場合は午前の6時の緯度経度情報を午前8時のロールコールで
伝えるようRace Instructionに規定されていた。  午前8時の15分ほど前より
Code 0 セールのショックを引きずったまま、記録していた午前6時のLEGLUS
のポジションをメモに、SSB無線機の前に座っていた。  
様子が変と気がついたのはそれから5分ほどしてからだった。 
他艇からの信号が非常に弱く、スピーカーからの大きなノイズにかき消されて
ほとんど聞こえない状況だった。  それは午前8時を過ぎても状況は変わらなかった。 
すでにロールコールは始まっているであろうに、ほとんどの交信がノイズにかき消されて
聞こえないのだ。  その中で信号がわずかに受信ができたヨットもあった。 
Category5に出場しているHorizon。 自艇位置を伝える声は聞こえるのだが、Communication
ボートからの返信は何も聞こえない。 Horizonを急いでコール、我々の位置を
伝え場所のリレーをお願いした。  返事がない。  もう一度コール。 やはり
同様。  他ライバル艇の位置もロールコールでの受信ができなければ
まったくわからない状況。  デッキ上から視界には、数艇のヨットの航海灯
が見えていた。 多分、そのうちのどれかがHorizonなのだろう。
夜間の有効視界に見えているということは10マイル前後の距離であろう。
LEGLUSのSSB無線機は10マイル程度の範囲の信号しか拾えないし、送信も
できていないということであろう。 (その後無線機の受信不良はバッテリー12V
をAC100Vに変換するインバーターより発生していることが判明。 無線通信時に
インバーターをオフにすることで、その後のロールコールは無事に行うことができた)

幸いSanyoさんがスポンサーしてくれたBGAN( Broadband Global Area Network)
の通信装置をLEGLUSは積んでいた。インマルサット社が提供している衛星をつかった
ネットワークサービスで、こいつのおかげでアンテナに衛星をキャッチできさえすれば
450Kbpsで通信することができた。  さっそくこいつを使ってコミュニケーションボートの
Alaska Eagleに6時の自艇位置とSSBのトラブルを告げるメールを送っておいた。 
それと同時にTPYC (Transpac Yacht Club )が一般にも公開しているレース参加艇の
位置情報をダウンロード。  4時間遅れで提供しているとはいえ、ロールコールが
できなかった我々には貴重な情報。 
結果を海図上にだしてみると、皆が集まってきた。 
スタートでは負けていたBengal 7 が風が弱いエリアにいた。  驚いたのはTachyon III
20時間が過ぎた今でも、まだ進路を真南に向けて進んでいた。 

その日の日中は風がまた落ちてしまった。 
せっかく抜けた弱風地帯であったが、南に移動して、またそのヘリにつかまってしまった
格好だ。 Code 0 のトラブルもあり、クルー皆、元気がないままに時間が過ぎていく。 
セールは Code 3に変更し、角度はベストではないものの少しでも艇速を稼ごうと
頑張ったが、一日中曇った空のように、LEGLUSの走りにも覇気がない。  



そして又夜が来た。 7月ということが信じられないくらいに寒い太平洋
カタリナ沖200マイルの2日目の夜。 
夜のウオッチではフリースを着込み、厚手のカッパを着ても冷気が伝わってくる。 
数時間置きにとっているライバル艇の位置情報からも他のチームも苦労している
ことがわかる。  そんななかで風を掴んで快走していたのがTachyon III
だった。 南に進んで距離が長くはなったが、時間ごとの移動距離が、他艇に比べて
段違いに伸びているのがわかる。  
逆に西にすすんだBengal 7には経度では追いついたように見えていた。 彼らも弱風で
苦しんでいるに違いない。     
どのエリアから風が吹いてくるのか? それはいつなのか? ナビゲーションの画面を
みながら、二つの疑問を繰り返した。 





3日目になると風は弱いばかりでなく、西へまわりせっかく上げたCode 3 セールを下ろしてJibを上げなおさなければ
ならないこともしばしば。 (本来ならばCode 0 でカバーできたところかも) 

こんななかで、皆を元気にしてくれたのは美味しい食事だった。 
一日に一食だけでもきちんと美味しいものを食べたい、そんな皆の要望にこたえるために、真空パックにした
料理を準備していた。  真空パックといってもレトルトではなく、調理した食材を一人分づつパックにして
冷凍保存したLEGLUSの好みに合わせたカスタムオーダー。 知人のシェフにお願いして作っていただいた。 
とりわけ寒い夜のウオッチの際に暖かい豚汁やおでんはうれしかった。 
シチューやボルシチ、それにご飯や野菜類までも新鮮なものをパックにしていただいた。 






スピンネーカーをあげるシート、スピンハリヤードは定期的に外皮チェックと修理を繰り返す。 
24時間同じシートを使うと、ちょっとした摩擦でもこんなに痛んでしまうのだ。 





思ったほど上がらない風、Code0の破損もあり、大事な序盤に思ったような走りができなかったLEGLUSだが
時間は過ぎ、レース4日目、5日目になると、より風下への帆走につかうAll Purpose Spinnaker
があがるようになってきた。  これは最初の1/3が過ぎ、中盤に入り風が後ろに回ってきたことを示していた。 

2009年8月21日金曜日

Transpac Class3 Start :TP-3

7月2日の朝がいつもと同じようにやってきた。
LEGLUSが所属するカテゴリー3のスタート日だった。

ロングビーチに到着してからは、レースチーム、回航チーム、そしてサポーター、
オーナーの皆で合宿した4ベッドルームのコンドを引き払い、レインボーハーバーへ向かう。 
本日は我々のクラスCategory3以外にCategory4,5にエントリーしているトータル19艇が同時にスタートする。 
いつもの朝とは違い、スタートを見学にきた人達や各チームのサポーター達で
ハーバーは活気に包まれている。   準備ができたチームから各々、ハーバーを
あとにヨットが出発していくが、その出発にあわせてTPYCのアナウンスでチーム
やクルーが紹介されている。 

そして我々LEGLUSも出発。 " Navigator, Hiro Minami "
アナウンスで皆の名前と一緒に自分の名前も呼ばれている。 
家族やサポーターが手を振っているのが見える。   
ハーバー内では我々ヨットと併走するアウトリガーカヌーがハワイまでの無事を祈ってAlohaの
大きな掛け声をくれた。 そして防波堤で守られているハーバーの外へでると
これから暫くの間はLEGLUSが世間から断ち切られることを実感するのだ。 
今までは、いろんな人に助けられてここまできたが、ここからはこれからの運命を
ともにする8名のクルーで助け合いながら進んでいかなければならない。   


スタート地点はLongBeachから西へ10マイル、San Pedroの沖にあるブイと
レース本部艇マストを結ぶ仮想ライン。 このラインを東側からクロスし、30マイル沖
にあるSt.Catalina島の北端を越えればあとの2200マイル以上はハワイを目指して
各々太平洋を西へ進むのみ。   
スタート海域には19艇の参加艇以外にたくさんのギャラリーがヨットやパワーボートが
集まっていた。  LEGLUSもオーナーやサポーターの一部はパワーボートでもスタート
海域まで最後の応援に来てくれている。    
スタート10分前をきると、海面が慌しくなる。  各チームともよいスタート
ポジションをとろうと、スタートラインぎりぎりをマニューバリングしている。
そして、7月2日午後1時ジャストにスタートの轟音とともに19艇は一斉にスタート
ラインをクロスした。 
スタート直後はこれからライバルになる19艇がならんでカタリナ島の北端をめざす。
50フィートクラスのヨットが一斉に舳先を西に向けて帆走するその姿は壮観だ。 
サポーターボートにはLEGLUSを応援する横断幕もみえた。 
通常のレースのスタートならば一番興奮しているときかも知れないが、今回は
意外に冷静な自分がいた。  これから進む2225マイルにどんな風が吹くのか、
どんなコースを進んでいくのか、どんなトラブルが発生するのだろうか? 
そんなことを考えていたせいなのか、スタートの興奮は一気に消えうせてしまった。 





レースをナビゲーションする上でTranspacというロングビーチからホノルルまでの2225マイルの
コースを大きく3つにわけて考えていた。    最初 はスタートしてからカタリナ北端
を回航し、南西のルートをとり西に舵を切り替えるまでの部分、 次に後ろから風を受けてスピンネーカー
を使い帆走する部分、そして最後はハワイ諸島にアプローチしてフィニッシュする部分。 
スタート後しばらく風が弱くなるだろう今大会はいままで以上に最初の1/3が重要と
考えていた。  カタリナ島を越えたあと、ハワイまでの最短距離を狙うならば、なるだけ
西向きに進路を取るだろう。  しかし今年の気圧配置を考えると、その方向に進むと
風が弱いエリアとぶつかってしまう。 レースの中盤から後半には高気圧が張り出し
風が吹き始めるかもしれないが、高気圧がいつ頃強くなるのか?また高気圧の中心が
正確に予想できるのか? それらを正確に予想することはベテランの気象予報士にしか
できない芸当だろう。  そんなふうに考えてLEGLUSがとるコースは南向きと決めていた。 
多分、他のヨットのほとんど南に行くのではないか。 そんな予想していた。

スタートから2時間、カタリナ島の北端が見えてきた。 各ヨットとも風向きが悪く、北端を
クリアできずに島の手前でタックで返してきたヨットとすれ違いながら、LEGLUSも
タック。 そして北端をクリアできる位置まできたら、再びタックで返して、あとはハワイまで
なにも障害物のない太平洋に好きなコースを引くだけだ。   


ちょうどあたりが暗くなりかける午後4時前にLEGLUSもカタリナ北端をクリア、LEGLUSは
南西を目指した。  ほとんどのヨットはLEGLUSが取っている角度と10度以内の範囲に
進んでいたが、予想に反してコースを西よりに舵を向けているヨットがいた。 Bengal7だった。
またハワイまでの距離は気にせずまっすぐ南に下りるヨットもいた。 
やはり日本からの参加艇のTachyonIII。 どこまで南に下りるつもりなのだろうか?
ハワイまでの距離を考えれば、翌朝までには南西にコースを戻したいところだろう。
そんなことを考えているうちにウオッチがスタート。 
ウオッチとはヨットを24時間走らせるために、各クルーが休憩のOffと操船を行うON
の二つのサイクルを繰り返すスケジュールのこと。 
LEGLUSでは4時間サイクルのウオッチを2交代で組んだ。 
各クルーとも4時間ONのあとに4時間のOFF。 1時間ごとにずらして
一人がOFFにはいり、同じポジションの人がONであがってくる。
これからハワイに到着するまでの間は連続では4時間しか眠れない
ということ。  OFFといっても、セールチェンジしたり、大きな仕事が
ある場合にはAllHandsで全員が起こされる。 24時間帆走し続けるという
ことは、こういうことなのだ。 

2009年8月13日木曜日

Am I ”really” ready for the race ? : TP challenge - 3

その後LEGLUSは無事にLong Beachまでの回航を終え、6月25日早朝に
Rainbow Harborに到着したと連絡を受けた。 
僕は陸路でLEGLUSを追いかけ、LongBeachに到着したのは6月26日。 
それからチームと合流して最後の合宿に入った。 

LEGLUSはLongBeachのRainbow Harborに日本からエントリーした他2艇
とならび係留されていた。  同じポンツーン(埠頭)には、昨年の優勝艇の
Sanba Pa Ti,  アメリカズカップにも何度も出場しているPaul Cayardが
スキッパーとして乗り込むFlashと、ともにヨット界の人ならば知らない人は
いない有名なヨットチームとならんで。  
そんなチームと同じ晴れやかな舞台に押し上げられて
誇らしい反面、同時にこころの中の一抹の不安が大きくなっていくのを感じた。  
日本からの他2艇はBengal7とTachyon III。 Bengal7はほぼ同じメンバーで
過去8年に4度ものTPに挑戦してきている。  オーナーの熱い情熱を感じずに
はいられない。
乗られているクルーもヨットに関わる仕事をされている一流のセーラーばかり。 
そのチームにNipponChallenge元クルーの原健さんも今年の挑戦から合流していた。  
僕にとってはヨットに乗り始めた80年代にNippon Challengeの応援していた頃からの
憧れのセーラー。 今回のキャンペーンとTPのレース準備を通じて知り合いに
なり、LEGLUSにもいろいろなアドバイスをしていただいた。 
またTachyonのオーナーはAbeam Consultantの西岡さん。  
この会社はロンドンオリンピックのヨット470級に出場を
目指すチームアビームを結成してオリンピック候補選手をサポート。 
男子チームの2名が今回のTranspacにはクルーとして乗船。 
さらにTachyonのスキッパーとしてヘルムを握る小松さんはチームアビームのヘッドコーチで
あるばかりでなく、オリンピックに選手としても監督としても何度も出場されている
日本ヨット界の大御所だ。  他の2艇のクルーの経歴を見れば見るほどに
素晴らしいものばかり。
それに引き換え、我々LEGLUSは選ばれたとはいえ、週末にだけヨットに
のる素人が中心。  ヨットスキルや経験ではとうてい彼らには及ばない。 
アメリカに来てからの準備期間にしても一番余裕があったLEGLUSであったが、やはり
直前までは全員が手一杯。 毎日スタート前の練習にでかける他のヨットを横目でみながら
出航できずに、整備や準備をこなすことでロングビーチでの時間がどんどん過ぎていってしまった。 

そして、不安はもうひとつあった。 それは前者よりもずっと大きな不安だった。 
ナビゲーターとしてLEGLUSをうまく風があるコースへ運ぶことが自分にはできる
のだろうか。  
LongBeachでの練習がやっとできたのはスタートの2日前、僕はナビゲーターと
して各セールセットでのデーターをPC上に集めながら、気象データーと組み合わせ
ながらレースの展開を考え始めていた。 
通常この時期には太平洋高気圧(パシフィックハイと呼ばれる)が大きく張り出し
その南側に吹く風をうまくつかまえてハワイを目指すのが常套手段。 
ただし、気圧の中心付近ほど風がないためにどの程度気圧の中心から離れたコースを
とるのか、ナビゲーターのスキルが問われる。 
コースを離れて帆走すると、その分風は強くなるが距離が増える。
風速でかせげるヨットのスピードと、遠回りする距離とのトレードオフを
どう考えるか。   インターネット上であふれる気象予報と実測された気象データの
狭間で、この二つの要素を組み合わせながら、どんなコースをひいていくのが
いいのか、準備や練習で疲れた体をベットに滑り込ませて目を瞑るとこの
疑問が頭の中をぐるぐるとめぐっていた。  
さらに悪いことに今年にいたっては、その太平洋高気圧の
張り出しが非常に弱く、複数の小さい高気圧が西海岸内陸周辺にちらばっていた。 
ということは、例年の常套手段以前に風があるコースを小さな高気圧が広がる
エリアのなかから見つけ出せねばならないということだった。 

そんな不安もスタートが近づくと、スタート前の興奮と、こなさなければならないいろんなことに
紛れて薄れていった。   そしてLEGLUSとクルーにとっては運命のスタート
7月2日が刻々と近づいていた。 


Bengal7に乗る原健さんと



レーススタート前日にNavigation Soft, Expeditionが予測したスタート直後(7月2日14:00)の予想天気図。 
太平洋高気圧の発達が弱く、アメリカ西海岸沿いにいくつも弱い気圧が発生していることがわかる。
レーススタート地点のロングビーチより沖側の風が非常に弱い(5ノット以下)が南側に下ると、10ノットの風が吹いている
海域が確認できる。


Expeditionが立ち上がっているPanasonic ToughBook   後ろにSSB無線機、GPS, VHF無線機が見える

2009年8月12日水曜日

Am I ready for the race? Transpac Challenge 2009 - 2

2009年に年が変わってからは、あっという間だった。
TPYCのホームページにあった、”レース開始まであと 00日”のカウントダウン表示が
100日を切り、日に日にカウントダウンが早くなっているように感じていた4月の半ばには
LEGLUSは太平洋横断の旅にでるため日本を出航した。   

アメリカ在住のチームでもレースのスタート地Long Beachにヨットを移動しなければ
ならないが、我々のように日本から参加するチームはレースの前に太平洋を一度
横断しなければならない。  マストやキールを一度ヨットからはずして、船舶や飛行機
で輸送することもできるが、我々LEGLUSチームは太平洋を横断する回航を選んだ。 
4名の回航チームの中の3名はレース本番にも参加するレースクルー。 
回航スタート直後にインバーターが故障しAC電源が使えなくなったり、海水を浄化して
飲料水を作るウオーターメーカーにトラブルがあり、浄水を回航中に作れなくなって
しまったが、それらを無事に乗り越え34日で太平洋回航を無事に終了。
LEGLUSと回航員4名が無事にGoldenGateをくぐったのが5月14日だった。 

当日は、いかにもサンフランシスコらしい濃霧にGoldenGateは包まれ、薄暗い早朝の
サンフランシスコ到着であったが、橋げたから発信されている霧笛は、まるで
LEGLUSを歓迎しているかのように聞こえた。 


普段からGoldenGate周辺でヨットをみることはよくあるが、日本でしか見たことのなかった
LEGLUSが、4人の回航メンバーと太平洋を34日かけて横断し、それが目の前にある、そんな風に思うと
自然に目頭が熱くなった。 

LEGLUSがサンフランシスコに到着してからは、時計の周り方は加速していった。 
回航中のダメージの修復、船底の再塗装と研磨、レースの準備、レース用の備品の購入、
スポンサーとの交渉、写真撮影そしてレース用のインスペクションの準備、インスペクターとの
連絡と週末はほとんどLEGLUSに関わることで過ごし、あっという間に毎週月曜日がきた。   
LEGLUS到着後のみならず、自分のキャンペーン参加決定してからは、普段こちらで活動
している、チームSeekerから菅野オーナーを中心にチーム一同がいろいろな場面でLEGLUSと
僕をサポートしてくれた。   この場を借りてチームSeekerには心より感謝を伝えたい。
彼らの支援がなければLEGLUSのアメリカ側でのキャンペーンは大変厳しいものになったに違いない。 

そしていよいよ6月20日(TPレース12日前)には、4名のチームメンバーがSFOに到着。
最後の整備、それにSFベイでのSeekerとの合同セーリングテストを行い。  
LEGLUSサポーターであるSeekerのクルーや家族によるSausalitoYachtClub
でのLEGLUSチームの歓迎&壮行会。 
待ちかねていたイベントがあっという間に過ぎ去っていく。 
6月24日、LEGLUSはいよいよスタート地Long Beachに向けての回航に出発しSan Franciscoを後にした。




LEGLUS SanFranciso湾でのテストセーリング風景


LEGLUS クルーとSeekerクルーでの記念撮影


Sausalito をバックに帆走するLEGLUS

2009年8月11日火曜日

Prologue - LEGLUS TranspacChallenge-1

Transpacにフィニッシュして、1ヶ月になろうとしている。 
ようやく夢のような時間から覚めて、レースを振り返る時間的な余裕もできた。
自分の歩いた足跡を振り返ってみたいと思う。


Prologue :

トランスパック。 
ヨットをやったことのある人には特別な響きではないだろうか。 20年以上も前、
ヨットをはじめた頃にヨットの先輩達の会話にでてきた海外でのヨットレースはいくつか
あったが、その中でもとりわけ皆の羨望の的だったのがトランスパックだった






2007年Transpacのスタート風景。 ひときわ大きなヨットがPye Wacket (Owner: Roy Disney )


スピンネーカーというセールは誰でもハンドルできるものではなく、いわゆるレース艇
と呼ばれるカテゴリーのヨットが追い風のときに使うのだが、うまくコントロール
すればヨットのスピードをあげることが可能だが、逆にうまくハンドルしてやらなければ、
ちょっとしたミスで絡んでしまったり、破いてしまったり高価なセールを一瞬で壊して
しまうことになる代物。 
トランスパックとは大型のヨットばかりがLAからハワイまでの2000マイル以上を
競うレースであるが、そのコースの半分以上が、スピンネーカーを使ったレースに
なるということでも有名だった。 















Spinnaker (スピンネーカーセール)をあげているヨット。 2007年のBigBoatSeries in San Francisco

LEGLUSが出場した今大会は第45回目であったが、第一回が開催されたのは1906年
というから二つの大戦をはさんで100年以上の歴史を持つレースといえる。  
第一回はもともとはサンフランシスコがスタート時だったが、同年に大地震が起き
開催地がロスアンゼルスに変更された経緯をもつ。   石原慎太郎、裕次郎兄弟も
1965年に出場したことでも、日本のヨット乗りには特別な思い入れをもったレースなのかも知れない。 
特に太陽族にあこがれた先輩ヨット乗り世代には。

そのトランスパックに関わる機会はあっけなくやってきた。 
日本の知人から連絡があったのは、2007年の年末だった。
彼からは『日本からトランスパックにでるチームのアメリカ側でのサポートを手伝ってもらえないか?』
聞けば、日本のチームの一つが”舵誌”に広告をだして2009年のトランスパックに挑戦するクルーを募
しているのだという。  油壺の三浦マリンをベースにしているヨットチームのCMCがトランスパック出場
を掲げ、キャンペーンを開始した直後に知人は僕に連絡をくれたのだった。 
CMCはトランスパックにエントリーすることはもちろん、海外レースも初めてということもあり、
トランスパックに参加の際してチームのレースへのエントリーから、ハンディキャップの取得、ヨットの
回航、そして回航後にアメリカ側でレースに参加できるまでの船体の準備など、アメリカからこのキャンペーンに協力できそうなこと、そしてチームもそういう協力者を求めていることはすぐに察知できた。 
そして次の日本出張時にCMCのチームオーナーと会い、自分もLEGLUSチームのクルー候補
の一員となった。 

アメリカ在住の自分には、毎週末練習しているチームとは合流する機会は少ないが出張や
夏休みを利用しキャンペーンの期間中なんとか3、4度ほどチームの練習には参加した。  
こちらでも51Feetのヨットに定期的に乗ってはいたが、やはり出場するLEGLUSとは儀装も
操船方法も違うので、TP出場を前提に一人でも準備ができるナビゲーションや気象の調査、研究に時間を費やした。 

つづく。