コースの半分を過ぎてからは、速い速い。 艇速は10ノット以下になかなか落ちることはなく、
一日に200マイル以上帆走する日が続いた。 ウオッチ交代の際の会話には
かならず、『あと何マイル?』が入るようになっていた。
LEGLUSは太平洋高気圧の中心を西に追い越して、亜熱帯気候の入り口にはいっていた。
スタボーサイド(右舷)に太平洋高気圧が張り出して雲が中心を囲むように
発達しているのを肉眼でもはっきりと確認できるくらいだった。
ウオッチのオフタイムも昼間では暑さと湿気のためになかなか眠りつけなくかってきたのも
この頃から。 数日前まではシュラフに包まって寒さをしのいでいたというのに。
夏らしい入道雲も見られるようになると、それと同時にスコールが発生しているのが
はっきりと見えた。 大きな雲が発達したその下側が灰色に陰り激しい風雨が
発生しているのだ。 肉眼でも雨が降っているのが時にははっきりと見えた。
スコールはそのサイズや向きによって、敵にも見方にもなる。
チームによってはその下に吹く強い風を求めてスコールに突っ込むものもいると
いう。 我々LEGLUSはコースを優先させ、スコールを目指すでもなく、避けるでもなく、
Heading Angle 250度に合わせてすすんでいた。
セールも一番の風下用、Running Spinnakerに変わっていた。
ヨットで一番速いのは風下への帆走だが、また同時に一番リスクがあるのも風下帆走。
風と同時に進んでいるとデッキ上ではみかけの風はほんの少ししか吹いていないが
実際にはみかけよりもずっと強い風が吹いている、その風の向きがちょっと変わった
だけで、巨大なメインセールの下側を支える金属製ブームがコックピットにゆれ戻ってきたりする
ブームパンチが起きたりする。 風の真下への帆走はデッドランとよび、ヘルムスマンは
舳先を風下真下へは向けないように舵を引く。
LEGLUSはデッドランにはならないもののスピードとコースをもとめて、デッドに近い角度
での帆走がずっと続いていた。
夏らしい入道雲の下にはいくつものスコールが見える。
そんな中、LEGLUSはちょっとやっかいなスコールに飛び込んでしまったのが9日目の早朝だった。
午前3時にウオッチONでデッキにでると、20ノット前後の風の中で風向きがくるくるとかわる中を、
ONのクルー全員がスコールと格闘していた。一度に90度以上も風向きがかわり、ヘルムをあわせるのも
尋常ではない。 セールトリマーはセールがばたつくのを抑えるために、シートを手繰りよせ、また風が
戻ると、シートを素早く出すという作業を、スコールに突入してから延々と繰り返していた。
満月を雲が覆い、デッキを闇が包む。 トリマーは懐中電灯が照らすセールのわずかな部分
でセールの状態を判断していた。
雨はときおり強くなり、横風により我々の顔を真正面から濡らした。
強い風のせいで、仲間の声も聞こえにくい。
トランスパックへの挑戦が初めての我々をあざ笑うよう、風の神は次々に難題をつきつけてきていた。
はやく夜が明けてくれないか、せめて明るくなってセールの様子でも見やすくなれば、と考えて
いたときだった。 我々の隙をつき、風向を大きく変化させ、なんとかトリムできていた
Runnning spinnakerをフォアステイに絡ませてきた。 『危ない!シートを引いて!』
『もうだめ、きつくて引けない!引いたらセールが切れますよ!』 一瞬の会話を交わす間に
さらに風向きを変えて、みるみるランニングスピンがフォアステイに絡んでしまった。
前帆を失い、くるくると回る風向の中でLEGLUSはうねりの中を木の葉のようにゆらゆらと
あおられていた。
バウ(船の舳先部分)に飛び出して、セールの絡みを取ろうとしたが、揺れるデッキ上で
強い風にあおられてはなすすべもない。
小さいセールならば、絡んだ部分から、よりを戻ししていけばいいのだが、20メートルのマストトップ
の上から下までの長さを持つセールの絡みをとる作業は大変だ。
どうやってセールの絡みをとればいいんだ?
何人かの口から意見がでたが、その度に他からの反応がない。
誰にも正しい解が見つからない状態で数分が過ぎる。
方法を考えているだけでも、刻一刻と時間が過ぎていき、ライバル達に先に進まれてしまう。
もうこれ以上、デッキ上でゆっくりと議論をしている暇はない。
スピードロスを防ぐため、Code3セールをあげ、帆走している状態で絡んだランニングスピンを
自らカットして(つまりセールを切り刻んで)フォアステーから取り去る。 これが短時間で選んだ
我々の苦渋の結論。 AllHandsCallで全員が作業開始する。 幸い時刻は午前5時を回り、
あたりは明るくなりだした。 バウマン、マッキー、リョウの二人はこれから最も危険な作業にとりかかるために
自らハーネスをつけて、準備する。
ハーネスを装着したバウマン、マッキーと副艇長の山下さん
通常ならセールをあげるスピンハリヤードにバウマンを結びつけて、マスト上にあげる。
フォアステーに届く位置からナイフで、はさみで、試行錯誤をくりかえしながらセールを切っていく。
普通ならば、小さい穴でも補修して、大事に大事に扱うスピンネーカーを自らの手で切る
作業は見守る全員に辛かったに違いない。
その間もLEGLUSは波に叩かれ、マストが大きく揺れるとハリヤードに吊り下げられたバウマンは
体が振り落とされないよう、手足でしがみつかなければならず、作業はそのたびに中断する。
全員が顔をマスト上に向けて見守る中を二人のバウマンの努力でなんとかフォアステーから
セールを取り去り、再び安定して走れるようになったのは午前8時をまわっていた。
そしてロールコール。 聞きたくない、ライバル艇のポジションを記録。
我々がトラブルに見舞われている間にライバル達は快調に飛ばして
いたようだ。 やっとの思いで抜かしたWasabiにも追い返されてしまった。
そして夕陽とともに夜がくる。
昼間は順調に進んだが、また夜には激しいスコールに何度も遭遇した。
WatchOffでバースで目をつぶっていても、シートやセールが風にあおられてばたついている音や、波が
デッキに叩きつけれれている音が何度も聞こえる。 そしてWatchONのクルー達のどなり声も。
あとどれくらいでストームをぬけれるんだ?
もういいだろう。 そろそろ落ち着かせてくれよ。
頭の中でそんな思いが錯綜していた。
『またセールが破けたー! All hands! 全員でセールを回収! All hands!!』
うそだろ、またかよー。
All hands Callがかかると、濡れた重いカッパを着てデッキにひきづりだされる。
うねりと風に翻弄されて揺れるデッキの上からやっとの思いで、
雨と海水を含んだ重いセールを回収しても、又次の作業だ。
一秒でも遅れを取り戻すために、次のセールを上げなければならない。
『風が強すぎる、セールが耐え切れないぞ!』
せっかく上がったセールも急な風速の上昇にたえられないとなると
すぐさまセールチェンジ。
なんとか落ち着いたと思ってバースになだれこんでも、一向に
激しい風雨はなりやまない。
そして、30分もしないうちに、またもトラブル。
『セールが破けた!』
。。。
『All Hands! セールを回収するぞー。』
。。。
この晩は何度、All Hands Call が出たのだろうか、数えきれなかった。
結局、LEGLUSは、4枚のスピンネーカーを一晩で失ってしまった。
こんなことあるのだろうか?
翌日の朝、疲労と睡眠不足で疲れた脳は思考を拒否しているかの
ように考えることを嫌がっていたが、我々は昨晩の現実を理解し、次に進まねば
ならなかった。
船内のバウ部分は風雨と海水で痛めつけられた4枚ものセールとその残骸がぐしゃぐしゃに
押し込まれており、これらを片付けなければ、船の前方部分にはアクセスできないほど。
それに信じたくはないが、破れてしまったセールを見て、事実を確認するという作業が残っていた。
そして駄目押しのライバル艇のポジション確認。 LEGLUSは5位に転落後もずるずると後退。
もう少しでと追いかけていたCipangoには30マイルも差をつけられてしまった。
トップのCriminal Mischiefにいたっては我々の250マイルも西側にいた。
250マイルもだ。
彼らに24時間を完全に停止しなければならないトラブルが起きたとしても、我々の平均艇速が10マイル超で
ようやく追いつけるかどうかという絶望的な距離だった。