Transpacにフィニッシュして、1ヶ月になろうとしている。
ようやく夢のような時間から覚めて、レースを振り返る時間的な余裕もできた。
自分の歩いた足跡を振り返ってみたいと思う。
トランスパック。
ヨットをやったことのある人には特別な響きではないだろうか。 20年以上も前、
ヨットをはじめた頃にヨットの先輩達の会話にでてきた海外でのヨットレースはいくつか
あったが、その中でもとりわけ皆の羨望の的だったのがトランスパックだった 。
2007年Transpacのスタート風景。 ひときわ大きなヨットがPye Wacket (Owner: Roy Disney )
スピンネーカーというセールは誰でもハンドルできるものではなく、いわゆるレース艇
と呼ばれるカテゴリーのヨットが追い風のときに使うのだが、うまくコントロール
すればヨットのスピードをあげることが可能だが、逆にうまくハンドルしてやらなければ、
ちょっとしたミスで絡んでしまったり、破いてしまったり高価なセールを一瞬で壊して
しまうことになる代物。
トランスパックとは大型のヨットばかりがLAからハワイまでの2000マイル以上を
競うレースであるが、そのコースの半分以上が、スピンネーカーを使ったレースに
なるということでも有名だった。
Spinnaker (スピンネーカーセール)をあげているヨット。 2007年のBigBoatSeries in San Francisco
LEGLUSが出場した今大会は第45回目であったが、第一回が開催されたのは1906年
というから二つの大戦をはさんで100年以上の歴史を持つレースといえる。
第一回はもともとはサンフランシスコがスタート時だったが、同年に大地震が起き
開催地がロスアンゼルスに変更された経緯をもつ。 石原慎太郎、裕次郎兄弟も
1965年に出場したことでも、日本のヨット乗りには特別な思い入れをもったレースなのかも知れ ない。
特に太陽族にあこがれた先輩ヨット乗り世代には。
そのトランスパックに関わる機会はあっけなくやってきた。
日本の知人から連絡があったのは、2007年の年末だった。
彼からは『日本からトランスパックにでるチームのアメリカ側でのサポートを 手伝ってもらえないか?』
聞けば、日本のチームの一つが”舵誌”に広告をだして2009年のトランスパックに挑戦するクルーを募 集
しているのだという。 油壺の三浦マリンをベースにしているヨットチームのCMCがトランスパック出場
を掲げ、キャンペーンを開始した直後に知人は僕に連絡をくれたのだった。
CMCはトランスパックにエントリーすることはもちろん、海外レースも初めてということもあり、
トランスパックに参加の際してチームのレースへのエントリーから、ハンディキャップの取得、ヨットの
回航、そして回航後にアメリカ側でレースに参加できるまでの船体の準備 など、アメリカからこのキャンペーンに協力できそうなこと、 そしてチームもそういう協力者を求めていることはすぐに察知でき た。
そして次の日本出張時にCMCのチームオーナーと会い、自分もLEGLUSチームのクルー候補
の一員となった。
アメリカ在住の自分には、毎週末練習しているチームとは合流する機会は少ないが出張や
夏休みを利用しキャンペーンの期間中なんとか3、4度ほどチームの練習には参加した。
こちらでも51Feetのヨットに定期的に乗ってはいたが、やはり出場するLEGLUSとは儀装も
操船方法も違うので、TP出場を前提に一人でも準備ができるナビゲーションや気象の調 査、研究に時間を費やした。
つづく。
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