予想通りカタリナを回ってからは、風はどんどん落ちていった。
10ノット以下の風で艇速は6ノット~5ノットになり、風だけで
走るヨットには苦しい展開となった。
2度目のウオッチにはいったとき、南向きにとった進路が功を奏した
のか、すこしづつ風が吹き出し、夜半には再び10ノットオーバー
に。 日にちが7月3日へと変わる頃には風に合わせてセールチェンジを行い、
ジェネカー(風下帆走用セール)のCode 0 で距離を稼いでいた。
こんなに早くジェネカーがあがるなんて、クルーの誰もが予想していなかった
のではないだろうか。 風も波も安定しているおかげで、レース一日目の
夜をLEGLUSは得意のアビームで快走していた。
明け方近くになると風はさらに増し12ノットをオーバーし、
艇速も9ノット。 風がないと予想していた西側の海域を避けて
うまく風が吹き出した南西海域の北側のヘリを捉えたコース取り
を実感していた。
キャビンに入り、ナビ上で航路を見ると海図には現れない
風の境界が自分の目にははっきりと見えていた。
そんなときだった。
ヘルムを取っていたマッキーの『あうっ』という大きな叫び声が
聞こえた。
デッキに飛び出してみると、驚く光景が目に飛び込んできた。
Code 0 セールがヨットの前方になく、海上にひきずられている。
20メートル以上ある大きなセールが船体の横の海面に流されているのだ。
スピンハリヤードを確認すると、セールヘッドの上部数メートルが
付いてはいたが、それ以外のほとんどが破れてセールの辺にある補強
部分の生地のみがマストのトップからぶら下がっているような状態。
クルーもタックもすべてのシートはセールの残骸を保持していたが、
セールの真ん中だけがなくなってしまっていた。
Watch ONでデッキ上にいたクルー全員でいそいで破れた
セールを回収。 すぐに代わりのセールReacherをあげる。
スピードのロスは最小限の10分程度に収まったが皆のショックは隠せない。
誰も口には出さないがCode 0セールをスタートして2日目の早朝に失くしてしまった
ロスはあまりにも大きい。 このセールは風を横から後ろ斜め方向に
うけて帆走するときのもので、TPのコースにうちに最初の1/3 でもっともよく
使うであろうセールであるし、LEGLUSの得意な角度でスピードが稼げる
一番の武器でもあった。
デッキでセールをトリムしているものの、今後のレースにCode 0 のロスが
どんな影響を及ぼすのかばかりが頭に浮かんできた。
悪いことは続くものだ。 最初のロールコールでもトラブルが発生した。
ロールコールとはSSB無線機を通じて、レースのコミュニケーションボート
Alaska Eagleにヨットの位置情報や風速、風向を伝えるもの。
Transpacの場合は午前の6時の緯度経度情報を午前8時のロールコールで
伝えるようRace Instructionに規定されていた。 午前8時の15分ほど前より
Code 0 セールのショックを引きずったまま、記録していた午前6時のLEGLUS
のポジションをメモに、SSB無線機の前に座っていた。
様子が変と気がついたのはそれから5分ほどしてからだった。
他艇からの信号が非常に弱く、スピーカーからの大きなノイズにかき消されて
ほとんど聞こえない状況だった。 それは午前8時を過ぎても状況は変わらなかった。
すでにロールコールは始まっているであろうに、ほとんどの交信がノイズにかき消されて
聞こえないのだ。 その中で信号がわずかに受信ができたヨットもあった。
Category5に出場しているHorizon。 自艇位置を伝える声は聞こえるのだが、Communication
ボートからの返信は何も聞こえない。 Horizonを急いでコール、我々の位置を
伝え場所のリレーをお願いした。 返事がない。 もう一度コール。 やはり
同様。 他ライバル艇の位置もロールコールでの受信ができなければ
まったくわからない状況。 デッキ上から視界には、数艇のヨットの航海灯
が見えていた。 多分、そのうちのどれかがHorizonなのだろう。
夜間の有効視界に見えているということは10マイル前後の距離であろう。
LEGLUSのSSB無線機は10マイル程度の範囲の信号しか拾えないし、送信も
できていないということであろう。 (その後無線機の受信不良はバッテリー12V
をAC100Vに変換するインバーターより発生していることが判明。 無線通信時に
インバーターをオフにすることで、その後のロールコールは無事に行うことができた)
幸いSanyoさんがスポンサーしてくれたBGAN( Broadband Global Area Network)
の通信装置をLEGLUSは積んでいた。インマルサット社が提供している衛星をつかった
ネットワークサービスで、こいつのおかげでアンテナに衛星をキャッチできさえすれば
450Kbpsで通信することができた。 さっそくこいつを使ってコミュニケーションボートの
Alaska Eagleに6時の自艇位置とSSBのトラブルを告げるメールを送っておいた。
それと同時にTPYC (Transpac Yacht Club )が一般にも公開しているレース参加艇の
位置情報をダウンロード。 4時間遅れで提供しているとはいえ、ロールコールが
できなかった我々には貴重な情報。
結果を海図上にだしてみると、皆が集まってきた。
スタートでは負けていたBengal 7 が風が弱いエリアにいた。 驚いたのはTachyon III
20時間が過ぎた今でも、まだ進路を真南に向けて進んでいた。
その日の日中は風がまた落ちてしまった。
せっかく抜けた弱風地帯であったが、南に移動して、またそのヘリにつかまってしまった
格好だ。 Code 0 のトラブルもあり、クルー皆、元気がないままに時間が過ぎていく。
セールは Code 3に変更し、角度はベストではないものの少しでも艇速を稼ごうと
頑張ったが、一日中曇った空のように、LEGLUSの走りにも覇気がない。
そして又夜が来た。 7月ということが信じられないくらいに寒い太平洋
カタリナ沖200マイルの2日目の夜。
夜のウオッチではフリースを着込み、厚手のカッパを着ても冷気が伝わってくる。
数時間置きにとっているライバル艇の位置情報からも他のチームも苦労している
ことがわかる。 そんななかで風を掴んで快走していたのがTachyon III
だった。 南に進んで距離が長くはなったが、時間ごとの移動距離が、他艇に比べて
段違いに伸びているのがわかる。
逆に西にすすんだBengal 7には経度では追いついたように見えていた。 彼らも弱風で
苦しんでいるに違いない。
どのエリアから風が吹いてくるのか? それはいつなのか? ナビゲーションの画面を
みながら、二つの疑問を繰り返した。
3日目になると風は弱いばかりでなく、西へまわりせっかく上げたCode 3 セールを下ろしてJibを上げなおさなければ
ならないこともしばしば。 (本来ならばCode 0 でカバーできたところかも)
こんななかで、皆を元気にしてくれたのは美味しい食事だった。
一日に一食だけでもきちんと美味しいものを食べたい、そんな皆の要望にこたえるために、真空パックにした
料理を準備していた。 真空パックといってもレトルトではなく、調理した食材を一人分づつパックにして
冷凍保存したLEGLUSの好みに合わせたカスタムオーダー。 知人のシェフにお願いして作っていただいた。
とりわけ寒い夜のウオッチの際に暖かい豚汁やおでんはうれしかった。
シチューやボルシチ、それにご飯や野菜類までも新鮮なものをパックにしていただいた。
スピンネーカーをあげるシート、スピンハリヤードは定期的に外皮チェックと修理を繰り返す。
24時間同じシートを使うと、ちょっとした摩擦でもこんなに痛んでしまうのだ。
思ったほど上がらない風、Code0の破損もあり、大事な序盤に思ったような走りができなかったLEGLUSだが
時間は過ぎ、レース4日目、5日目になると、より風下への帆走につかうAll Purpose Spinnaker
があがるようになってきた。 これは最初の1/3が過ぎ、中盤に入り風が後ろに回ってきたことを示していた。
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